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未知の世界

詩人として安定して食べていけるようになってしばらく経った頃、担当者から「イメチェンしませんか」と提案された。この担当者は私の色とりどりに変化する詩を好いてくれており、私が所謂「商業詩人」として安定して売れる芸風に凝り固まってしまうことを恐れているらしい。固定客を薙ぎ払う勢いで、今までの有栖川さんらしくない新しい詩を詠んでください、と熱望された。かつて担当したアーティストたちが皆売れる路線の作品しか作らなくなってしまったことが残念でならないとのことだ。

なるほど。確かに、芸術とは本来、自分の中に湧き出る感情やイメージを心ままに自由に表現するものだ。売れるために媚びを売る作品は美しくない。私も日頃からこの考えに基づいて生きているつもりだが、担当者の目には商業詩人になりかけているように映るのだろうか。

今までの私からは想像できない詩を書こう。そう決意して、散歩をしたり紅茶を飲んだり読書をしたり団員と会話したり、普段実践している方法を一通り試したが、今までの私から離れることは難しい。
「あ゛~~芸術が……降りてこない……」
思わず声に出すと、密くんから、アリスうるさい、と苦情が入った。密くんは横になって微睡んでいる。
シャキッとしたまえ、と注意すると、密くんから思いもよらぬ提案をされた。
「……アリス、いつもと違う作風にしたいなら、いつもと違うことをしないと。例えば……オレみたいにダラダラ過ごしてみるとか」
ダラダラ過ごして詩興が湧くのか疑問だが、普段しないことをすれば良いというのは理にかなっている。
密くんに倣ってゴロンと横になり、天井を仰ぐ。特に何も思い浮かばない。このまま過ごしていても特に何も起こらず一日が終わってしまうだろう。
そうだ。密くんのように横になったままマシュマロを食べてみるのはどうだろうか。それも、人に食べさせてもらうという形で。
口をぱかっと開けてみる。すると、マシュマロが口に入ってきた。頼んでもいないのに何故、と思い目を開くと、密くんと目が合った。
「アリス、仕事のためにオレの真似してるんでしょ。それならちゃんと再現しないと。今日はオレがアリスの役やるからそのままでいて」
あの密くんが…!と感動して抱きつこうとしたら、スッと避けられ、アリスが稼がないとオレのマシュマロがなくなるから、と言われた。
最後の一言が無ければ良かったのだがね、とため息をつき、再び横になった。

「…きて、起きて」
体を揺すられる。どうやら眠ってしまっていたらしい。窓の外を見ると太陽が沈みかけている。
密くんにマシュマロを目の前にチラつかせられながら、腕を引っ張られる形で稽古場に向かう。流石は憑依型の役者といったところだろう。見事に普段の私になりきっている。
稽古場に入ると、先に来ていた冬組メンバーたちに驚かれた。一番早く適応したのは東さんで、ふふ、ぼやっとしている誉も可愛いね、と言いながらマシュマロを口に入れてくる。密くんも東さんに続いてマシュマロを口に入れてくる。紬くんと監督くんまで真似してくるものだから、マシュマロで窒息しそうになった。
密くんが普段見ている景色を実際に見ることができて、段々楽しくなってきた。ダラダラ過ごして、団員から甘やかされるのはむず痒いけれど、意外と私の性に合っているのかもしれない。

稽古が終わると、密くんに連れられて団員揃って監督くんのお手製カレーを食べる。密くんは横からカレーにマシュマロを添えてくる。御影密という人物が憑依したのだろうか。カレーにマシュマロを添えられた時に嫌ではなく嬉しいと感じた。
食べ終わると密くんにお風呂に連れていかれ、なんと頭を洗ってもらった。力加減が心地良く、うっかり寝そうになる。お風呂ではマシュマロあげられないから寝ないで、と注意された。
入浴が終わると、ドライヤーで髪を乾かしてくれた。なんて至れり尽せりなのだろう。普段の私も密くんにここまで尽くしてはいない。むしろ、シャキッとしなさいと注意している。もしかしたら、密くんが普段私にやって欲しいことをやってくれているのだろうか。

寝る準備を整えてベッドの梯子を登っていると、眠そうな密くんから、詩は書けそう?と訊かれた。ここまでしたんだから、良い詩を沢山書いてくれないと怒る、と付け加えられた。
密くんにたっぷりと甘やかされ、私の心はほくほくと温まっていており、詩興が湧いて仕方がない。早速ここで一つ、と詩を披露しようとしたら、密くんはすでに眠ってしまっていた。私は眠ってしまった密くんに毛布を掛け、おやすみ、と優しく声を掛けた。

心の熱が冷めてしまう前に詩を書き綴ろうとベッドの梯子を降り、手帳に詩をしたためる。ほぼ一日を横になったことで見えた普段見ている景色とはまるで違う世界に、下心があるとはいえ密くんが私を全力で甘やかしてくれた喜び。それらを勢いよく書き綴っていった。普段の私とは違う作風になっていると思う。密くんには感謝でいっぱいだ。
早速、明日担当に見せに行こう。

翌朝、密くんはいつもの密くんに戻っていた。普段どおりマシュマロで釣りながら朝食を食べさせて稽古場へと向かう。
稽古中も密くんが寝ないように定期的にマシュマロを与えた。やはり、こちらの方がしっくりくる。

稽古が終わり、出版社へと向かった。担当者に昨日書いた詩を見せる。
担当者は頬を赤らめ、有栖川さん恋人できたんですか?と訊いてきた。
そのような相手はいないと答えると、じゃあ劇団のみんなが恋人ってことなんですかね!と楽しそうに話しかけてくる。
その言葉を聞いて、昨日の密くんはキリッとしていて格好良かったな、と思い出し、今度は私が頬を赤らめることとなった。
担当者は、今までの有栖川先生らしくない新しい作風でとても良いと思います!と褒めちぎった後、小声で、御影さんにもよろしくです。と言ってきた。

照れ臭さが限界を超え、私はそそくさと出版社を後にした。

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