月光の波間 1章 始まり

1-5

旭がピンとした冬の空気を暖めだした頃、彼は家から出てきた。まだ暖まりきらない冬の空気の中を彼は港に向かって歩き出した。過疎化の進む町であっても港町の朝には人の動きがあった。家からは朝ごはんの臭いが立ち込め、洗濯物を干す人の姿がちらほらとみられた。路地には学校に行く子供の姿も多少見られ、この町がまだ生きていることが伺えた。昼時などほとんど人の見られない時間帯に比べれば、今は彼をつけていても人の中に身を隠すことができた。彼もつけられているとは思わず、そっと小さな魚の加工場に入って行った。

加工場は魚の臭いが蔓延し、床は水で光っているのが、入口の少し開け放たれたドアの隙間から見えた。そして少しすると、黒のゴム製のエプロンを付け、長靴に履き替えた彼が見えた。

彼がここで働いていることは確かだ。そして彼以外にも何人かの作業員が見えた。暗さもありはっきりとその顔を見ることは難しかったが、少なくともこの町には珍しく、老人よりも青年が多いことはわかった。この町にあんなに若い人がいることに驚いたが、すぐに彼らはこの町の人で無いという強い確信が芽生えた。

つまりこの港町の産業を支えている人は外国人ということだ。町の若い人は船に乗らないし、魚も捌かない。昔は町のいたるところに家族経営の加工場があり、通りに魚の干物がよく見られた。しかし、そんな加工場はとっくの昔にほとんどなくなり、小さいとはいえ人を使うような工場しか今は残ってない。とはいえ、若い人の多くは東京に出ていくような町で、少しばかり残った若い人も、海とは関わりたくないと言わんばかりに近くの町の臭いのしない機械工場で働いているのだから、加工場を維持させるためにはもう外国人を雇うしかないのだろう。

彼がここで働いていることに何ら驚きは無かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?