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おふでさきより心の持ち方を思案する

めへゝの心みのうちどのような
事でもしかとみなあらわすで
(第12号171)

各人の心づかいは、どのような事でも、間違いなく身上に確かに現われてくる

これみたらどんなものでもしんぢつに
むねのそふちがひとりてけるで
(第12号172)

身上に現れてくる親神様の知らせを見たならば、どんな者でも、真底から胸の掃除をせずにはおれなくなる

あすにち八どふゆうみちをみるやらな
しんの心があらわれてくる
(第12号177)

明日になれば、どのような道が見えてくるか分からない。銘々の心通り、親神様の守護が現れてくる。

これみたらどんなものでもしんちつに
あたまかたけてみなしやんする
(第12号179)

これを見たならば、どんな者でも、心の底から不思議に思って、思案せずにはおれない

さあしやんこの心さいしいかりと
さだめついたる事であるなら
(第12号180)

さあ、しっかりと思案せよ。銘々の心の真実さえ確かに定まったならば、親神様は、その心定めを受け取って自由自在の守護をしてくださる

この事をみな一れつ八しんちつに
をもてたのめばどんな事でも
(第12号182)

この理をよく悟り、親神様のたすけを心の底から信じて、真実誠の心をもって親神様に願うならば、どんな事でも願い通りに速やかに守護しよう

真実が本当に「わかる」には、心が「すむ」ようになることが必要である。心をすますには自ら反省してもできるが、親神様が働かれて、心がすんでくる。
心をあらわしてくださるのである。

体内には、人間の心遣いのほこりと親神様のご守護があるので、それを人間の眼にみえるようにあらわしてくださるのである。
(その具体的な方法は第14号以降に述べられている)

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