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雪雫にもこれからの長い旅

雪雫ゆきしずくにもこれからのながたび

 駅から五分ばかり線路に沿って歩いたところには井戸掘り職人の家があった。そこは川のわきのじめじめした低地で、夏になれば家のまわりを蚊と蛙がぎっしり取り囲んだ。職人は五十ばかりの気むずかしい偏屈な男だったが、井戸掘りに限っては正真正銘の天才だった。彼は井戸掘りを頼まれると、まず最初に頼まれた家の敷地を何日もかけて歩きまわり、ブツブツ文句を言いながら方々の土を手ですくって匂いを嗅いだ。そして納得できるポイントをみつけると何人かの仲間の職人を呼んで地面を一直線に掘り下げた。
 そんなわけでこの土地の人々は美味い井戸水を心ゆくまで飲むことができた。まるでグラスを持つ手までがすきとおってしまいそうなほどの澄んだ冷たい水だった。富士の雪溶け水、と人々は呼んだが嘘に決まっている。 とどくわけがないのだ。
 直子が十七になった秋、職人は電車に轢かれて死んだ。土砂降りの雨と冷や酒と難聴のせいだった。死体は何千という肉片となってあたりの野原に飛び散り、それをバケツ五杯分回収するあいだ七人の警官が先端に鉤のついた長い棒で腹を減らせた野犬の群れを追い払い続けねばならなかった。もっともバケツ一杯分ばかりの肉片は川に落ちて池に流れ込み、魚の餌となった。
 職人には二人の息子がいたが、どちらも跡は継がずにこの土地を出ていった。そして残された家は誰ひとり近寄るものもないまま廃屋となり、長い年月をかけてゆっくりと朽ち果てていった。そしてそれ以来、 この土地では美味い水の出る井戸は得難いものとなった。
 僕は井戸が好きだ。井戸を見るたびに石を放り込んでみる。小石が深い井戸の水面を打つ音ほど心の安まるものはない。

村上春樹『1973年のピンボール』
アーサー・ボーウェン・デービス
《しずくの一滴》制作年不明
フィリップス・コレクション

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