口から出る言葉よりも文章で 一 INFPより。
もう1年ほども前だが、TwitterでMBTIの一覧早見画像のようなものが回ってきた。
そこには各タイプの特徴が簡潔に記されていた。
こんなの誰にでも当てはまるように出来てんだよ。と思っていた(今も思っている部分はある)から当時はそこまで気にしていなかった。
が、件の画像をきっかけに一応やっとくか。と初めてMBTI診断なるものをしてみた。
僕はINFPだということが分かった。
この時点でも、結局「ふーん」という程度にしか内容を読まなかった。
しかしそこからしばらくして、思い出したり、友人との話題に上がったりする度にこの診断をやり直した。
気になってしまっていたのだ。
そして何度やっても結果はINFPになる。
どうやらこれは他の心理テストとかよりは信ぴょう性のあるものらしいぞ?と気づき、サイトをじっくり読んだり、追加で検索したりするようになって、
その末に自己と向き合うことも多くなった。
記事の冒頭に戻るが、
「話すより文章で」の話をしよう。
INFPが、というと主語がでかいと怒られてしまうので、僕が、「話すより文章で」になってしまう根拠を書いておこうと思う。
ずばり、
内に秘めた『伝えたいこと』を相手に限りなく純度100%の状態で伝えるためには、話すという方法は文章で伝える時よりも制約が多いから。
これに限ると思う。
話す時は相手と自分の時間を共有している。
それは友人であれ、恋人であれ、家族であれ、同僚であれ、上司であれ、同じだ。
そのため文章と違って『伝えたいこと』に限りなく近い状態まで推敲する余裕が無い。
中途半端な状態で言葉にしなくてはならず、しかも文章と違って、書き直し・やり直しがきかない。
1度自分から出た言葉は、『伝えたいこと』と違っていても責任が伴う。
だから僕は関係が深くない相手には優しい言葉、自分に厳しく言うならば当たり障りの無い言葉を口にして逃げることが多いのだ。
この特徴は一長一短だと思う。
今みたくnoteに思いの丈を書き連ねることが楽しいと思えたり、手紙を書くことが楽しいと思えることは、少なくとも面倒くさくて書かない人や書くことが苦手な人達より良い事だと思う。
それは思考のアウトプットによって脳内を整理できるという点においてもそうだし、
あとから読み返して共感したり、恥ずかしくなったり、批判したりできるという点も素晴らしいだろう。
こうして直接話せない人に思考を共有出来るのも、ね。
けれどその反面、
土壇場で答えを求められたりすると、まごついてしまったり、会話の脳内シュミレーションのやりすぎで疲れてしまったり、勝手に結末を予想して絶望してしまったり、
「話す」ことと突然対面したり、あまりにも重要な場面で「話す」ということになると、
僕は途端に弱くなる。
普段の会話では全くそんなことないのに、なぜだかそうした自分にとって特異な場面でこの特徴はマイナスに働いてしまう。
別に話すことが苦手だとかそういう訳じゃない。
結局のところ「未完成」の状態の感情や情報を自分から発信することそれ自体が怖いのかもしれない。
それらが招く結果(相手の感情の変化や関係性の変化等)ももちろん怖いし。
だからINFPは(主語デカごめん)、生き辛いだの社会不適合者だのと言われてしまうのだろう。
時間があれば、恐怖さえなければ、
この類の人々はきっと1番輝けるのにね。
現実問題それがほとんどの場面で出来ないから、難しいところなんだけれども……。
余談だが、LINEやインスタのDMなどのSNSは「話す」と「文章」の折衷案みたいなやり取りの方法であるため、場合によって使いやすかったり微妙だったりする。
感情をどストレートに伝えてみる経験もたまには必要なのかな。
だいすき、愛してるって素直に言いたい。
言われたい。
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