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わたしの思う「ゆたかさ」

自慢するつもりはないのだが、今までの人生、ある程度「ゆたか」に過ごさせてもらってきた、と感じている。
父はわたしが幼い頃に亡くなったが、幸い母は国家資格を有していたので、一度は専業主婦になったものの正社員として再び働くことができた。
「子供の自主性を尊重する」「片親であることを負い目に感じて欲しくない」という母の想いもあり、「やりたい」と言った習い事はやらせてもらえたし、毎年旅行に行くこともできた。
父方の祖父には"一番近くに住んでいた孫"ということもありだいぶ甘やかされ、月に一度顔を出す度にお小遣いをくれたし、その使い道を母にとやかく言われることもなく自由だった。(だいたい好きな漫画を買ったり、日々の買い食いで使い果たしていたような気がする)

とはいえそんな中でも不満はあった。
親が開業医だったり商店を営んでいてもっともっと裕福な子だってクラスにはいたし、学年が上がるにつれ、ブランド物の財布に憧れたり、「通学時はMDウォークマンで音楽が聴きたい」などと”気軽には買えない欲しいもの”が増えていった。
母におねだりという名の相談をしたところで取り合ってくれないし、そういえば携帯電話を持たせてもらえたのも高校卒業間近で、同級生の中でもかなり遅かった。
更に高校・大学在学時は奨学金を借りていて、今も返済を続けている。
学費は全て親に出してもらえて、返済に追われることもない旦那を見ていると「身軽でいいな」とつい思ってしまう。



ところで、新型コロナウィルスの感染拡大により、4月に日本全国を対象に緊急事態宣言が発令された。
"STAY HOME"を合言葉に、商業施設は休業、外で楽しむレジャーや娯楽は自粛要請…
専門家でもなんでもない一人の小市民であるわたしは、今までの"当たり前の日常"が奪われていく様子をただ黙って見ているしかなかった。
行くはずだったライブが何本も中止になった。大好きなプロ野球も開幕しない。
「何を楽しみに生活していけばいいんだよ」と、気を抜くと何かに当たり散らしてしまいたくなる時もあった。


しかし、そんな"緊急事態"にも慣れ始めた頃気付いたのだ。
「できない」ことにばかり目を向けて嘆いているよりも、
「これならできる」ということを見つけた方が絶対楽しい、って。

それを踏まえてわたしの思う「ゆたかさ」とは、
選択肢が多いこと・自分で選択肢を増やせることだ。

今置かれている状況で何かできるか。
それを自ら探し、手持ちのカードを増やしていくイメージである。
実際わたしは"STAY HOME"期間に、買ってそのままになって本を読み始めたり、初めて魚を捌いてみたり、ずっと会えていない高校時代の友人たちとオンライン飲み会をしたりした。
遠くへ遊びに行かなくたってできることはいっぱいあるんだ。

上昇志向や欲は時に人間を成長・向上させてくれるけれど、今回のコロナウィルスのように、自分ではどうにもならない外的要因によるものに対してないものねだりをするのはもう止めよう。

わたしの人生が幕を下ろす頃、たくさんの"手持ちのカード"に囲まれていることを願っている。

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