見出し画像

学級日誌を12ページ書いたあの日から。

先に言っておく。わたしは昔からめちゃめちゃプライドが高い。
プライドが高いというか、「恥をかきたくない」とか「カッコ悪いのが許せない」が近いかもしれない。

例えば、少4の時当時なぜか憧れがあって入部した卓球部では同じ学年の十数人の女子の中で1,2を争う下手さ加減で、進級してからの団体戦のチームを1コ下の学年と組まされたのが屈辱で辞めた。

北国生まれなので冬にはスキー教室というものがあって、遠足のようにバスに乗ってスキー場へ向かい、丸1日滑り続けるイベントが年1回あったのだが、事前のレベル分けで出来るふりしてちょっと上のクラスに入れてもらったはいいものの(ABCDって4つのレベル分けだったんだけど、"中の上"にいたい気持ちわかります?Cは嫌だったんですBになりたかったんです)、結局当日ボロが出て班のメンバーを足を引っ張り、近くにいたCのレベルの班(しかも1コ下の学年)に合流させられ、内心号泣、帰りたくてたまらなかった…なんてエピソードもある。

運動系の話でばかり例えて申し訳ない。
「書く」ということに関して言えば小2の時、「読書感想文を地域のコンクールに出すから書いて」と担任であるおばあちゃん先生から突然白羽の矢が立てられた。読む本から指定され、ひと通り書いてみた感想文は原型をほぼ留めていないくらい赤が入り、それでも先生の期待に応えようとなんとか食らいついて書き上げた。
結果は入選はおろか佳作にも選ばれず。「がんばっても意味なかったじゃん」ーその出来事、思いが強く残り、それ以降の夏休みの宿題の作文や読書感想文も嫌々、最後の最後にやっと重い腰を上げて夏休み最終日になんとか書き上げて持っていく、という具合であった。



しかし転機が訪れたのは高校に入学してすぐの頃だった。
高校生活についてのいろいろな説明(オリエンテーションって言うんだっけ?)があった中で、国語教師である担任が言った。

「日直は学級日誌何ページ書いてもいいです。ちなみに今まで私が担任した中での最高は20ページです」と。

この言葉になぜだかわたしの中で火がついたのだ。

学級日誌はA5サイズで、表紙と裏表紙はボール紙のような硬くて厚かったが白地に黒の明朝体で「学級日誌」と大きめに印刷されているだけ(「平成◯年度」とか「◯HR」とかは穴埋めにする感じだった気がする)のシンプルすぎるもので、中のページは上半分に日付や天気、日直の名前、その日の時間割を書く欄があり、下半分がフリースペースといった具合だった。幅はB罫で、おそらく15行くらいはあったかと記憶している。

初めて日直が回って来たのはゴールデンウィークより前だったかと思う(男女別50音順名簿の早い方の苗字だったので)。まずは手始めに出身中学や趣味、好きなアーティストの話などを交えた自己紹介で2ページ半くらい書いた。自分より前のクラスメート達は何を書いているんだろう?とページを遡ってみたが大半が数行で終わっていて、「なんてもったいないことを!」と思ったが、こんなところに時間や労力を割くなんて明らかに少数派で、燃えているわたしの方が奇特なんだとすぐ気づいた(ちなみに、「記述問題は8割書かないと点数にならないから」というなんとも国語教師の担任らしい理由で、途中からは8割は埋めないとNGというルールができた)。
次の日、日直の友達に日誌を借りて即チェックすると、担任からは「複数ページ書いてくれましたね」とコメントが返ってきていた。わたしの、これから始まる勝手な挑戦に対する思いというか決意を受け止めてくれたような気がして嬉しかった。
「次に日直が回ってきたときは何を書こう?」そんな風に普段からネタを考えるようになったし、どうせ書くからには自分以外のクラスメートにも目を通して欲しい、ちょっとでも興味を持ってもらえるような題材を…という視点も持つようになった。

結局わたし個人の最高記録は12ページ。
内容は出来たばかりの東京ディズニーシーにオープン数ヶ月後に行くことができたのでそのレポートだった。乗ったアトラクションをオススメ度でランキングにしたり、グルメの食レポも書いた覚えがある。休み時間からちょこちょこ進めてはいたが、帰りのHRが終わってからも1時間くらい残って書き上げた超大作だった。
ドヤ顔で提出したけれどこれにもオチがあって、実は既に担任がディズニーシー体験済みで「確かにナイトショーは良かったよねぇ」などというコメントが付いていて、「わたしがクラスで初めてじゃなかったんかい!」と内心ズッコケてしまった。

ただこの時にはもう「がんばっても意味なかったじゃん」とは思わなくなっていた。「書く」ことを楽しめていた。
「恥をかきたくない」とか「カッコ悪いのが許せない」というような無駄なプライドも、「書く」ことに関して言えばなくなった。
逆に「書き」続けたことによって持つようになったのは"矜持"かもしれない。


話し言葉と違って、第三者が見られるような形になるまでにいくらでも推敲できる。自分が伝えたいことを最もよく表せる表現を探して完成させるパズルのようであり、その過程が戦いで、もちろん苦しい時もあるのだけれど、それすら楽しめるというか。日本語なんて漢字・ひらがな・カタカナが使える訳で、場面によってどれを使うかのチョイスなんかは特に自分なりにこだわっているつもりだ。

学級日誌を12ページ書いた高1のあの日から、わたしは「書く」楽しさを知り、20年以上経った今も、自分なりのプライドを持って「書き」続けている。

お気に召していただけたらサポートいただけると幸いです。執筆環境整備に充てさせていただきます。