日本で原発など最初からムリだった。

 石川県羽咋郡志賀町にある北陸電力の志賀原子力発電所について、少しくどいが、記録として残す意味からも、基本的な問題から始める。同原発は沸騰水型軽水炉(54万キロワット)と改良型沸騰水型軽水炉(135.8万キロワット)の2機を所有し、93年と06年に稼働した。いずれも11年以降は運転が止まっている。これが不幸中の幸いであった。
 歴史的に能登半島地方では地震は比較的多い。1729年にM6.6~7.0の地震が発生し、能登半島先端付近で死者、家屋損壊や山崩れなどの被害が生じた。明治以降では、1892年のM6.4、1896年のM5.7、1933年のM6.0といった被害地震が発生した。2007年に能登半島地震(M6.9)では輪島市で1名が灯籠の下敷きになって亡くなるなど、輪島市や七尾市を中心に被害が出た。
 しかし、能登地方では18年頃から地震回数が増加し、群発化傾向があり、20年12月以降半島北部の浅いところを震源とする群発地震がおよそ3年以上も継続している。これらの群発地震の中で、24年1月1日16時46分に発生したM7.6の地震が最大で、志賀町で震度7を観測した。
 この他にも21年9月のM5.1の地震では珠洲市で震度5弱、22年6月19日のM5.4の地震では珠洲市で震度6弱、23年5月のM6.5の地震では珠洲市で震度6強を観測した。20年12月から23年12月までの3年間で、震度1以上の有感地震は506回も記録した。
 群発地震の活動は、22年6月時点では東西約15km、南北約15kmの領域で発生しており、とくに半島の北側から東側にかけての領域で地震活動が活発であった。地震活動の領域は半島先端部を時計回りの方向で拡大する傾向を見せ、22年11月以降は南東部の海岸沿いにも広がった。
 23年5月のM6.5の地震は活動域の東側の北部で発生し、以後は地震活動がさらに北から東側の海域にも拡大した。令和6年能登半島地震はM7.6の地震以後、地震活動は能登半島北東海域から07年の能登半島地震活動域付近にかけて、能登半島北部を北東~南西方向に縦断する範囲にまで拡大している。
 群発地震の正確な原因はわかっていないが、ある程度詳しい推測はある。金沢大学の平松教授によると、地下から上昇した流体によって、地殻が膨張している可能性があるという。地面が隆起する地殻変動も生じており、珠洲市の観測点では20年11月から22年6月までに地面が4cmほど隆起した。能登地方のように周囲に火山がない場所でこれほどの地殻変動を認めるのは珍しい。
 東京工業大学の中島教授は、同地域における過去の地震の伝播を解析した結果から、半島地下に水が広く存在していると推測した。またそれらの供給量や上昇経路を解明できれば、地震活動を予測できる可能性があるとする。
 今のところ、群発地震が収束する見通しはない。令和6年能登半島地震が発生した1月1日は志賀原発から半径30km圏内に、およそ6万世帯、約15万人が住んでいた。北陸電力はかつて志賀原発の重大事故を隠蔽していたことがある。
 99年6月218日1号機を停止し、定期検査を行った際、制御棒の試験で操作手順を間違え、3本の制御棒が引き抜かれてしまった。これにより、何もしなくても核分裂反応が起こる「臨界状態」が15分間も起き、わが国では初めて臨界事故とされた。ところが、北陸電力は組織ぐるみでデータを改ざんし、外部には虚偽の報告を行った。
 北陸電力は事故を8年間も隠ぺいし、15年になってようやく公表した。この隠蔽行為は、原子力規制委員会や国会で厳しく追及され、北陸電力の社長や役員が辞任するなどの責任を問われた。国際原子力事象評価尺度はレベル2で、「公表すると2号機の工程が遅れる」などの理由により日誌を改ざんし、国に報告しなかった
 その他に13年5月1号機の低圧タービンの動翼取付部にひび割れが生じた。19年7月構内の防災資機材倉庫付近に配置している高圧電源車で火災が発生し、北陸電の自衛消防が消火した。21年8月2号機の安全装置に不具合が生じた。23年の地震で変圧器が油漏れするなどの被害が生じた。
 志賀原発敷地内の断層が「活断層」どうかが問題となり、原子力規制委員会や2号機の再稼働をめぐる審査で議論されてきた。審査の対象となった敷地内の断層は10本もある。このうちS-1断層は1号炉の原子炉建屋をかすめてタービン建屋の真下を通り、S-2断層とS-6断層は、1号炉と2号炉のタービン建屋の真下を通る。
 16年4月原子力規制委員会は、1号機原子炉建屋の直下にある断層について「活断層と解釈するのが合理的」とする有識者会合の報告を受理した。この報告書がくつがえらなければ1号機は廃炉に、2号機も大幅な改修工事が必要となる。
 これに対し、北陸電力は「鉱物脈法」を用いた評価を提示し、23年3月原子力規制委員会は、2号機について、「敷地内の断層は活断層ではない」とする北陸電力の主張を妥当だと判断した。志賀原発の一例を通しても、わが国の原子力問題を取り仕切る原子村と電力会社のなれ合いと癒着が見え隠れする。
 1月1日の志賀原発では、火災が発生し、一部が使えなくなっている外部から電気を受ける系統が破損し、復旧時期の見通しが立たない。また原子炉建屋地下2階で震度5強相当の揺れを観測し、建屋の外にある外部から電気を受ける際に使う変圧器も破損した。
 また今回の地震では、未知の活断層を含むいくつかの断層が連動して動いた可能性が指摘されている。これに対して地球科学的に日本で原発など最初からムリだったと主張する「原発と日本列島」(土井 和己 五月書房新社 23年7月 1800円+税)の好著がある。
 土井氏は53年東京教育大学(現筑波大学)理学部地質鉱物学科を卒業し、57年に発足後間もない原子燃料公社に奉職した。57~90年原子燃料公社・動力炉・核燃料開発事業団(主任研究員)として全国の地質調査に当たり、地質学者として原発設計に携わり、84~86年OECD・OECD原子力機関放射性廃棄物管理委員会の委員を務めた。
 同氏は実地の人である。

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