石井紘基の追悼イベント。
2023年11月2日現職中に刺殺された石井氏(享年61歳 1940年11月6日-2002年10月25日)の没後21年追悼イベントが都内で開催された。02年10月25日、世田谷区の自宅駐車場で迎えの車に乗ろうとしたところ、柳刃包丁で左胸を刺されて死亡した。
右翼団体代表の伊藤白水は翌日の26日に警察に出頭し逮捕された。伊藤は動機について、金銭トラブルを供述したが、石井氏は特別会計の問題、国会議員や官僚の腐敗を徹底的に追及していたことから暗殺されたとする見方が有力である。同氏が独自の調査で集めた政官業の癒着に関する資料が段ボール63箱分残った。現在、これらの資料は元首相の鳩山氏が保管している。
28日に予定されていた国会質問を前に、石井氏が「国家が転覆するくらいの事件を見つけた」と語った事実が知られている。また持っていた鞄の中には質問のために国会へ提出する書類が入っていたが、事件現場の鞄からは書類がなくなっており、いまだに発見されていない。検視では左中指が切られた形跡があり、そのため「命」以上に「資料」を狙った犯行と報道された。
同氏は財政学者で、民主党などで衆議院議員(3期 93年7月-02年10月)を務め、総務政務次官(羽田内閣)として活動した。国会では政府支出の無駄遣いに厳しく切り込むことから、「国会の爆弾発言男」の異名を取った。とくに特別会計について詳細な研究を行い、統一教会、オウム真理教などのカルト宗教問題にも取り組んだ。
東京市世田谷区に生まれた石井氏は、中央大学法学部に入学、安保闘争に参加した。当時、すべての国会議員が逃げ出す中で、一人でデモ隊の目の前まで出て行き、騒乱の最前
線に出向き、警官を抑えようとした日本社会党書記長の江田三郎を見て、政治家を志した。 早稲田大学大学院法学研究科を経て、65年に社会党本部勤めからモスクワ大学大学院に留学し、博士号を取得し、留学中に出会ったナターシャと結婚した。大学院を修了すると、71年に帰国し、江田氏の息子の江田五月の秘書となる。
議員活動としては、政府支出の無駄遣いに関心が高く、とくに特別会計や特殊法人などに国会議員が持つ権限を使った徹底的な調査で、税の無駄や政府の不正の追及を行った。そのため「国会の爆弾発言男」と言われた。特別会計について詳細な研究の一端として、業務効率が悪く、官僚の天下り先として、国営企業と言える特殊法人が民業を圧迫し、社会構造を歪めていると主張した。
石井氏は正義感が強い希有な人物として知られていた。不正や不公平に対しては容赦なく声を上げ、政府への批判も恐れなかった。彼の姿勢は多くの人々に感銘を与え、尊敬されている。その遺志を引き継ぐ人もおり、その影響力は今もなお残っている。
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