サイレント・パンデミックについて。

 近年、抗菌薬が効かないAMR(薬剤耐性)をもつ細菌が世界中で増えている。2013年米国疾病予防管理センター(CDC)は薬剤耐性菌の感染について、「人類にとっての重大な危機」と警告し、「サイレント・パンデミック」として取り上げた。
 抗菌薬耐性とは、細菌やウイルスなどの微生物が抗生物質や抗ウイルス薬に効果を示さなくなる現象で、薬剤の過剰使用や不適切な処方、不完全な治療などによって発生し、耐性菌に罹患すると、通常の治療法では治らない場合が多い。
 サイレント・パンデミックは、気づかないうちに世界に広がる静かな流行というほどのことで、人々の健康や経済に深刻な影響を与えるにもかかわらず、人々が十分に認識していない感染症の蔓延である。
 13年AMRに起因する死亡者数は低く見積もって、70万人とされた。19年に世界中で127万人がAMRによる直接的な原因で死亡し、495万人がその関連する疾患で亡くなったと推計された。何も対策を講じない場合、50年には世界で1000万人の死亡が想定され、薬剤耐性菌による死亡者数はがんによる死亡者数を上回り、経済的な損失は計り知れない。
 薬剤耐性菌はさまざまな種類があり、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)、バンコマイシン耐性腸球菌(VRE)、多剤耐性緑膿菌(MDRP)、多剤耐性アシネトバクター(MDRA)などが代表的である。これが登場する度にメディアが盛り上げ、人類は強力な耐性菌によって圧倒され、いよいよ人類滅亡の日を迎えるのかと不安のどん底に叩き込んだこともあった。
 これらの細菌はとくに医療機関や介護施設などで院内感染を引き起こすことが多く、重篤な合併症や死亡につながる。マラリアや結核などの感染症の治療にも耐性菌が生じ、治療に難渋する。
 医療において薬剤耐性は新しい問題ではない。ペニシリンが発見された1928年から、抗生物質の過剰使用や誤用によって、耐性を持つ菌との戦いが始まった。ペニシリンの発見者であるアレキサンダー・フレミングは、45年にノーベル医学生理学賞を受賞した際に、いつかペニシリンが市販される日が来るかもしれない、その場合知識のない人々が適切な量を服用せずに、体内の細菌に対して低濃度の薬物を与えてしまう結果になり、耐性菌を作り出すと警鐘を鳴らした。 
 抗生物質は医療の場だけでなく、家畜・水産・農業などの分野でも多用される。しかし、抗生物質の過剰な使用や不適切な使用は、薬剤耐性菌の発生や拡散につながる。薬剤耐性菌は、動物や食品を介して人間に感染し、重篤な症状を引き起こす場合もある。
 薬剤耐性菌は医療機関内に限らず、コミュニティや環境にも存在し、国境を越えて流通する可能性がある。そのため、抗生物質の適正使用は、食品衛生や動物衛生だけでなく、人間の健康や社会の安全にも重要となる。
 わが国では2013年から2020年までの間、医療分野での抗生物質の使用量は徐々に減ってきたものの、全体としてはほとんど変わらなかった。薬剤耐性菌に対抗するためには、抗生物質を必要な場合にだけ使用し、感染を防ぐ管理を厳しくすることなどが重要である。
 AMRは世界的な公衆衛生上の危機となっており、感染症の治療に大きな障害になっている。新しい抗菌薬の開発だけでなく、薬剤耐性菌に対するワクチンやバクテリオファージの利用、感染診断法の改善や細菌の制御、抗体医薬の開発など、多角的かつ総合的なアプローチが必要だとされる。薬剤耐性菌の対策は地球規模の問題で、積極的に取り組む必要がある。

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