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国際協力師になりたかった話最終回〜貧困地域にホームステイ編〜

こんばんは!ibuです。

2つ前の記事から、私が15年以上国際協力師を目指していた時のことを思い出して記録しています。

タイトルでネタバレしていますが、今回記事にする体験を通して、私は国際協力の道から離れることにしました。

1つ目の記事の冒頭でも触れていますが、この記事は現在国際協力の分野で活躍されている方や、活躍を目指している方を批判するつもりではありませんが、なるべく当時の私のリアルな心境を含めて記録していきたいと思います。

ぜひ最後まで読んでください^ ^

フィリピンの貧困地域にホームステイ

当時、19歳になりたての私は「貧困ってなんだろう」「ボランティアってなんだろう」、そんなモヤモヤを解消するために実際にフィリピンの貧困地域でホームステイをさせていただくことにしました。

私を受け入れてくれたのはT村に住むご家族です。お父さん、お母さん、そして息子さん2人の暖かい4人家族でした。

貧困地域で生活するなんて、きっと過酷な1週間になるんだろうな、、と覚悟は決めて来たつもりでしたが、家に案内していただくと、早速数々の衝撃を受けました。

まず、屋根。ブルーシート!?汗汗

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そしてトイレは便器のみ!ちなみに便座はありません(笑)もちろん蓋も。
(見えずらい写真でごめんなさい)

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電気もありませんし、水も流れません。隣のバケツに常時溜まっている水を桶に入れ、勢いよく流し入れるとトイレの中を洗浄することができます。

もちろん洗濯機もありませんし、

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料理をする為の火は、まず薪を割るところから、、!

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テレビもないし、こんなに暑い国なのにエアコンもないし、冷蔵庫もないから食事のたびに買い出しから始まる、、

と、こんな感じで、初めはないものばかりに目がいってしまいました。

想像よりはるかに不便かも。ホームシックになりそう。

これが家に案内されてすぐの感想です。

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実は快適すぎた?

しかし、実際にホストファミリーとT村で過ごしているうちに、私にとってはここでの生活がとても心地よくて、非常に快適な生活になっていました。

こんなに不便なのに、なぜこんなにも快適なんだろう。何がこんなに心地よいのだろう、、、。

きっと、フィリピン人の人柄のおかげだと思います。フィリピンにいる方々はとても陽気で明るいです。ホスピタリティがあって、知らない人に対してもとても明るく親切に接するのが当たり前です。そもそも、日本から突然やってきた外国人の私を快く迎え入れてくれて、本当の家族同然に接してくれていたことは本当にありがたく、フィリピンについてから心細かった私にとってはとても大きな存在でした。

T村は村全体の平均収入が低く、エリア全体が貧困地域とされていますが、そこで暮らす人々は皆当たり前のように支えあって、助け合って生活しているのです。

例えば、一家に一台持つことができない車は、3世帯くらいで一緒に使用したり、スーパーは遠いので車を持っている人が持っていない人も一緒に連れて行ってくれたり。

また、時計は皆が持っているものではないので時間をそこまで重視せずに自分のペースで生活をしています。その影響からか、「フィリピンタイム」という謎のルール(?)があり、約束の時間を過ぎてしまうことや、時間通りに物事が進まないことは日常茶飯事ですし、それに対して怒る人はほとんどいません。

それに、私が村を散歩していると皆が声をかけてくれて、言語が違っても一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれたり、、。

とにかく人当たりのいいフィリピン人に囲まれている生活が心地よくて、幸せでした。

最強のフィリピンフード

話は少し変わりますが、ご飯もホストファミリーの方と一緒に食べます。

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息子くんが慣れた様子で家の裏にあるココナッツの木に登り始め、食べ頃のココナッツを収穫してきてくれます。次はバナナのお花も。バナナのお花って見たことなかったのですが、フィリピンではこちらも重要な食材だそうです。

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ココナッツを手作業でガリガリと削り、削りったものを手でぎゅーっと絞るとココナッツミルクが出来上がります。そして、こちらのバナナのお花も細かく刻み、一緒に煮詰めて完成した料理がこちらです。

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なんとも言えない見た目に初めは戸惑いましたが(笑)、いざ口にしてみるとクリームシチューのような味でとても美味しかったです。フィリピンの家庭料理の味付けは醤油ベースのものが多く、日本人の舌にとても合うと思います。実際に、ホストファミリーが作ってくれた料理も、街中で販売しているストリートフードも全部が美味しかったです。食べるものに困ることはなかったです。

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↑街中で売っているストリートフードです!とても美味しいです!

日本での私

ここまで、予想外に快適な暮らしを送って来て、ふと日本での自分の暮らしと照らし合わせてみました。

大学生になって一人暮らしを始めたけど、隣の家の人とまともに会話をしたことないし、街に自分のこと気にかけてくれる人の存在などありません。ラッシュ時の駅にいる人間はロボットみたいで怖いし、改札通るときにsuica反応しなかったらどうしようと、いつも変な緊張をしてしまいます(笑)。それに、毎日、分単位で予定がぎっしりで、時計を見ないで生活できる日なんて1日もありません。

なんか日本での自分の生活って苦しいな、、。

「世界」よりも「自分」を変えたい

確かに、私のホストファミリーの生活は物理的、経済的には私たちの生活よりも貧しいかもしれません。それでも、目には見えないモノを大切にしている彼らの暮らしがとても豊かで、羨ましく思えたのです。

世界の相対的に「貧困地域」と呼ばれている地域は、私たちが勝手にそのようにカテゴライズしているだけであり、彼らにとってはその生活が当たり前であり、その中に幸せがあるのです。しかし、先進国が介入し、そのギャップを知ることで彼らは自分たちが貧困であることを知り、それまでの幸せな暮らしを奪ってしまうかもしれない。

もちろん、国際開発や国際協力を今すぐに必要としている人が世界にはたくさんいると思いますし、そのような活動は本当に素晴らしいと思っています。

しかし、私の場合は、

国籍や人種は違ってもみんな同じ人間、
国や地域が違ってもみんな同じ地球で相互依存の時代を生きている。

当たり前のことなのに、今まで「みんな平等、対等」をしっかり考えきれていなかったのだと思います。

この世界を変える必要はないのかもしれないけど、自分は変わらないといけない、と思わせてくれた出来事でした。

この経験から、私は国際協力の道から離れることにしました。

15年間の夢が一区切りして、完全に迷子状態になってしまいましたが、

「幸せってなんだろう、豊かな暮らしってなんだろう」

この答えを求めて今も活動を続けています。

『国際協力師になりたかった話』はこちらの記事で最後になります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

※日本のNPO団体が提供しているプログラムの一環としてホームステイさせて頂きました。生活費などはそちらからお支払いしています。




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