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「態々」

「態々」という漢字の読みを知っているだろうか。

あまり目にしない漢字なので知らなくても無理はない。
それこそ知っていたとて態々使う意味もないのだから。

「わざわざ」と読むらしい。態々わざわざ。

僕がこの漢字を初めて見かけたのはとあるライトノベルの一節だった。詳細は覚えていない。

ライトノベル。
無知で浅はかなな人々が勝手に「高尚だ」「小難しい」の帯をぎゅうと巻きつけ硬くなってしまった「小説」。それに中高生向けに合成甘味料のようなイラストや設定を塗りたくって見えなくして見やすくした浅はかな、「よみもの」。
たまらない。

閑話休題。

恐らくそのライトノベルの筆者も態々なんて漢字を知らなかったのだろう。
だが、最近のデジタルな執筆業には便利なモノがある。
変換」

手癖で変換キーを叩いたら漢字が出てきたのだろう。
あるいは他の語に巻き込まれたか。

仕方がない。

それこそ態々わざわざ打ち直す必要もなし。
あるいは見過ごしたのか。
そのまま編集なりに提出したのだろう。

たまらない。

僕はこういう制作側の事情が文章から垣間見えると、
後ろめたいような、たまらない気持ちになる。
「喜ばしい」ではなく「悦ばしい」。

まぁこんな適当で仮定に仮定を重ねてこてこてになった推察はお門違いに間違っているのかも知れないが。
真偽はどうでもいい。
僕が真だと思えることが重要なのだ。

他の人を出し抜いて深淵を覗き込みたいという浅はかで気持ちの悪い欲求。
そんな底抜けの麻袋が満たされるような錯覚に陥る快感。

だから僕は文章が好きだ。
他人の脳みその皺がたまたま文字列の形をとっているように感じる文章が。


…態々こんな駄文を見てもらった人には悪いけれど、
これで言いたいことはほぼ全部言ってしまった。

〆の一言に何かないか考えてみたけれど思い浮かばないあたり僕には本当に文才がない。

おしまい。

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