『シン・短歌入門』のホツマツタエ問題

わたしは短歌をつくりはじめて1年半くらいの初心者だ。

初心者として最近『シン・短歌入門』を読んだら、ホツマツタエに言及するページがあって驚いた。もちろん悪い意味でだ。

『シン・短歌入門』がきっかけでホツマツタエを知った人には、この記事を読んでもらいたい。

長文なので、まだるっこしいのが嫌いな方は「4.まとめ」へどうぞ。

※記事では敬称を略しましたが、どうかご海容ください。
※参考にした本に言及するとき、その本が置いてある図書館を調べるリンクをつけました。

1.たった1ページだけ、やばい

笹公人『NHK短歌 シン・短歌入門』はとてもいい本だ。短歌を始める人が知りたそうなことをQ&A形式でまとめている。でも1ページだけ、やばいところがある

Q5「短歌はなぜ「五・七・五・七・七」なのですか?」(26ページ)。

こういう質問は「ヒトの手足はなぜ2本ずつあるんですか?」という質問に似ている。以下のような回答のどれで「納得」するかは人によるからだ。

「遺伝子で決まっているので」
「ヒトの祖先は4本足だったから」
「愛する人のところまで歩いて行って抱きしめるため」

「短歌はなぜ「五・七・五・七・七」なのですか?」という質問へ穏当に答えるなら「短歌はそうやって続いてきたから」と言うしかない

笹は『冷泉家和歌秘々口伝』の説を紹介する。出典は『知っ得 短歌の謎:近代から現代まで』の佐佐木幸綱による序文だ。この記事では『冷泉家和歌秘々口伝』を直接引用しておく。内容を補った訳もつけた。

和歌三十一字のかずは、一月三十日至極して、又一日と變ずるは、天道循環無窮のかずを以てのゆゑなり。濱の眞砂はかそヘつくすとも、此風體きはまりなかるべし。

和歌一首31文字の31という数は、「1ヶ月30日が極限に達すると、また新しい月の1日へと変化するのは、天道が循環して果てしないから」ということを表す数だからである。浜辺の砂を数え切れても、この和歌一首というスタイルは果てしないに違いない。

『日本歌学大系』第5巻、274ページ
太字・現代語訳は引用者

この説を記事では〈31文字1ヶ月説〉と呼ぶことにしよう。

笹は衝撃を受けて「これは!」と思ったそうだ。わたしもおもしろいと思った。(でもなぜ6・6・6・6・7等でなく5・7・5・7・7なのかは分からないままだ)

ここまでは問題じゃない。やばいのはこの後だ。

ちなみに、三十一文字が天体の運行に対応しているという説は、「ホツマツタエ」にも書かれています。ホツマツタエとは、「ヲシテ」(神代文字の一つとされる)を使い、五・七調の長歌体で記され、全四十アヤ(章)一万七百行余りで構成された日本の古典叙事詩とされています。歴史学会は偽書と見做みなしていますが、その成立時期は、『古事記』『日本書紀』より古いと主張する研究家もいます。冷泉家に伝わる口伝とホツマツタエの内容の一致が実に興味深いです。信じるか信じないかはあなた次第です

笹公人『NHK短歌 シン・短歌入門』NHK出版、2023年、26ページ
太字は原文

なぜ笹は偽史文献ホツマツタエを紹介したのだろう? 漢字伝来より前の文字(=神代文字)なんて日本に無い。それは日本史の基本だろう。「ヲシテ」は他の神代文字と同じく江戸時代に現れた。ホツマツタエも江戸時代に現れたものだ。笹は本気でホツマツタエが古事記や日本書紀より古いと思っているのだろうか?

『シン・短歌入門』は結構ウケを狙ってくるから笹の冗談かもしれない。しかし、冗談だとしても短歌の入門者に信じさせてはダメだ

わたしはホツマツタエが古事記や日本書紀より古いわけないと考えている。ホツマツタエの設定に夢中になるのは構わないが、おすすめできない。

笹は「内容の一致が実に興味深いです」と書いている。けれども、冷泉家の口伝とホツマツタエで〈31文字1ヶ月説〉が一致するのは、笹が仄めかすほど興味深いことではない。

なぜなら両者の〈31文字1ヶ月説〉は同じ「ご先祖」に由来するからだ。(それはそれで興味深い現象ではあるのだが。)

2.冷泉家の口伝の「ご先祖」

冷泉家は、遡ると藤原ふじわらの定家さだいえに至る家なので、和歌の権威だった時代も長い。(本当は色々あるが、省く。)

まず確認しておこう。『冷泉家和歌秘々口伝』は江戸時代の資料だ。当時の冷泉家の説ではあるけれど、口伝の内容すべてが冷泉家だけに秘密裏に伝えられたわけではない。(本当は色々論証する必要があるが、省く。)

そもそも〈31文字1ヶ月説〉は冷泉家発祥ではない

和歌31文字の説も色々ある。その辺の流れを知るのには、三輪正胤「歌学秘伝史を『八雲神詠伝』に見る:一如への道」(『歌学秘伝史の研究』第1章第2節)が便利だ。

三輪によると、もとは31文字が仏の三十二相から「頂成肉髻相(=無見頂相)」を除いた数という説があった。〈31文字1ヶ月説〉は後から登場して吉田よしだ兼倶かねともの作った『八雲やくも神詠伝しんえいでん』で広まったらしい

三輪の別の論文「『八雲神詠伝』の成立と流伝」(『歌学秘伝の研究』に収録)によると、〈31文字1ヶ月説〉の原形は忌部いんべの正通まさみち『神代巻口訣』まで遡るそうだ。

兼倶の自筆資料の内容を以下に引用する。「濱の眞砂は…」あたりも含めて、兼倶の説と冷泉家の口伝はそっくりだ

超大極秘之大事六ケ
 浅略
八雲神詠四妙之大事
初、字妙者三十一字ノ数ハ一月卅日極テ又一日ト変ス、天道ノ循環無窮ノ数ヲ以テノ故ナリ濱砂ハカソヘ盡トモ此風躰無窮ナルヘシト云ヘルナリ、
(以下略)

出村勝明『吉田神道の基礎的研究』神道史學會、1997年、204ページ
引用にあたって書入を本文に組みこんだ。太字は引用者

兼倶は吉田神道を大成したカリスマでもある。吉田神道はあめの児屋こやねのみことから吉田の一族が継承したという神道だ。

三輪によると、吉田神道は『八雲神詠伝』で和歌の権威を利用したが、和歌の世界も『八雲神詠伝』で古今伝授を神格化・権威化したらしい。

『八雲神詠伝』を取りこんだ古今伝授は宗祇そうぎ細川ほそかわ幽斎ゆうさいを経て、江戸時代になると堂上とうしょう地下じげの歌人へ広まった。江戸時代の『冷泉家和歌秘々口伝』に『八雲神詠伝』が入りこんでもおかしくない。

〈31文字1ヶ月説〉に限れば、冷泉家の口伝は『八雲神詠伝』の影響下にある。

3.ホツマツタエの「ご先祖」

ホツマツタエは江戸時代に登場した偽史文献だ。日本の偽史文献については『偽史と奇書が描くトンデモ日本史』が参考になる。

文献から「史実」を探る歴史学にとって偽史文献はノイズだ。とはいえ、文献を作ったり信じたりした人の活動が分かる点で、偽史文献は宗教・文化の歴史を知る手がかりでもある。

ホツマツタエについては吉田唯『神代文字の思想:ホツマ文献を読み解く』という本がおすすめだ。ホツマツタエ(『秀真政伝紀』)などのホツマ文献が思想史的に読み解かれている。吉田の研究論文は『神仏習合の手法:中世神話から近世神話へ』で読める。

吉田によると、ホツマ文献は先ほどの吉田神道や吉川神道の影響を受けていて、高野山の信仰とも関係が深いらしい。また、ホツマ文献は古今伝授を含めて和歌とも関係が深いらしい。

和歌と関係が深く吉田神道の影響下にあるということは、当然ホツマツタエは兼倶の『八雲神詠伝』から影響を受けているだろう。じっさい吉田もそれについて検証している。

まずホツマツタエの〈31文字1ヶ月説〉部分を引用しておこう。

…ハナキネハ イナニツヽルヲ アネニトフ アネノコタエハ アワノフシ マタトフハライ ミソフナリ イマミソヒトハ コノオシヱ アメノメグリノ ミムソヰヱ ヨツミツワケテ ミソヒナリ ツキハオクレテ ミソタラズ マコトミソヒゾ

『ホツマツタヱ』「キツノナトホムシサルアヤ」(いわゆる第1のアヤ)より
内閣文庫本(明治期写本)第一冊19丁表
ホツマ文字を片仮名に置き換えた。太字は引用者
上に引用した部分の内閣文庫所蔵『ホツマツタヱ』

吉田によると、ホツマツタエの内容は『神代巻秀真政伝』などと対照しつつ読み解くものらしい。〈31文字1ヶ月説〉に関わる部分を引用しておく。

歌は語妙・意妙・句妙と申て、此三妙か第一なり。是三天の相を顕所なり。表中底の形象なり。和歌三十一字二字は是天文の数理にして、一年の日数三百六十五日を四季に割ば、則九十一日二歩五厘と成。是を月の三十日に割と三十一日余、月は廿九日余と成。その日と月の巡り数を平均すれば、日月合して三十一日と成。日に寄ば三十二と成。此故に歌三十一字と決事、魔を禁、咒の歌は三十二字と決事なり。歌に余り字を用事は此故なり。

天保14年(序刊)『神代巻秀真政伝』上之四
内閣文庫本9丁表~裏
句読点、濁点を補った。

吉田によると『神代巻秀真政伝』の記述は『八雲神詠伝』に由来する。つまりホツマツタエの〈31文字1ヶ月説〉は『八雲神詠伝』を取り入れたものなのだ。

※「ヲシテ」等と呼ばれるホツマ文字には仏教の影響も明白だ。「アイウエオ」の母音を五大(地・水・火・風・空)に対応させる五輪塔のような図が『神代巻秀真政伝』にある。(設定としては仏教がホツマ文字に似たわけだが。)

『神代巻秀真政伝』〔上之一〕内閣文庫本9丁表

もしホツマツタエに興味を持ったら、まず『神代文字の思想』とともに、伊藤聡『神道の中世:伊勢神宮・吉田神道・中世日本紀』『中世神道入門:カミとホトケの織りなす世界』などを読んでほしい。ホツマツタエは中世神道の子孫でもあるのだ。

ホツマツタエは江戸時代の宗教・文化の資料として、それなりに有意義だ。じっさい荒唐無稽な点でホツマツタエと大差ない中世神道の資料は、ちゃんと中世の宗教・文化の資料として扱われている。

そのような適切な扱いを受ける前に、ホツマツタエは古事記や日本書紀より古い「超古代史資料」として熱狂的ファンを得てしまった。ホツマツタエにとっては不幸なことだったように思う。

4.まとめ

笹公人『シン・短歌入門』はいい入門書だ。けれど「短歌はなぜ「五・七・五・七・七」なのですか?」というQ&Aにだけ問題がある。

笹はまず、和歌の31文字が「1ヶ月30日が終わると新しい次の月の1日が始まる無限の循環を表す」という〈31文字1ヶ月説〉が冷泉家の口伝にあると紹介する。これで済めばよかった。

ところが笹は〈31文字1ヶ月説〉が偽史文献のホツマツタエにもあると書く。しかも「内容の一致が実に興味深いです」などと、ホツマツタエの内容が確からしいかのような書きぶりだ。

じつは冷泉家の口伝とホツマツタエの〈31文字1ヶ月説〉は『八雲やくも神詠伝しんえいでん』が共通のネタ元だ。内容が一致して当然で、ホツマツタエを持ち上げる根拠にならない

にもかかわらず、歴史学では一蹴されるホツマツタエ関係の妄説を「信じるか信じないかはあなた次第です」などと笹は書く。

たった1ページだが、入門者に信じさせてはダメなことが『シン・短歌入門』に書かれてしまった。

5.何でこんな記事を書いたのか

『シン・短歌入門』がいい入門書なのに変わりはない。1ページぐらい瑕疵があったっていいじゃねえかとも思う。

ところが笹によると、学校現場で『シン・短歌入門』を参考にする教員もいるそうだ

かつて学校教育へ偽史「江戸しぐさ」が入りこんだことは有名だ。『江戸しぐさの正体:教育をむしばむ偽りの伝統』『江戸しぐさの終焉』に詳しい。)

そういう先例もあるし、『シン・短歌入門』の瑕疵もただごとで済まない可能性がある

2016年に毎日新聞や産経新聞がホツマツタエ愛好家に好意的な報道をしたこともあった。短歌の時評でおなじみの橄欖追放の『シン・短歌入門』紹介記事も面白がるばかりで危うい。

たとえ1ページでも偽史文献ホツマツタエに触れている『シン・短歌入門』は、学校現場だと取り扱い要注意だろう。使われる先生方には十分に気を付けてほしく思う。

わたしは最近Twitterにこう投稿して、心ある人に届けばいいと思っていた。

けれど、笹の投稿を見てこの記事を書くことにした

何かの批判記事をnoteに書くなんて休日の過ごし方として好ましくないのかもしれないけれど、まあいいだろう。勉強の機会にはなった。

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