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たが君がくれた行動力

【死にたがりの君に贈る物語】

綾崎さんの新刊ということで、言わずもがな発売当初に買いました。

SNSで「推しがいる人にこそ読んで欲しい」みたいなキャッチコピーにおススメされて読んだ人も多いだろうけど、私は何の先入観もなく読んでしまいました。
先入観はないけど、没入感は存分にありましたね。
読み始めから終わりまで、飲み食いせずに駆け抜けたので、たった数時間で干からびました。

感想文でいいらしいので、
「読んでどう感じたか」本をおススメする視点じゃなくて、
「どう感じながら読んでいたか」伝えたいと思って書いています。

未読の人が読んだら「???」という内容なので、ご了承ください。

多くの人が、読者である純恋ちゃん視点で感情移入するのかな。

「本の続きが読めないなら生きている意味がない。」

この一行を読んだときに、私はなぜかミマサカリオリ視点で受け止めていました。
終盤、実際のミマサカリオリ視点になるまで、これは続いていました。

【こんな風に作品を愛して、同じ状況下で共同生活を実施していることを、ミマサカリオリが知ったらどう思うんだろう】って思っていた気がします。

純恋ちゃん、ファンの鏡かなって思いましたよね。
作家も作品も愛して、感想だってちゃんと伝える。

創り手のクリエーターが大切にするものと、受け手のファンが大切にするものの間には溝ができがち。
作品が炎上するのだってそう。
作品を愛しているのか、作者も愛しているのかが、いちばん目に見えてわかる心の移ろい方だと思います。

作者はファンを選べないのに、
作品は肯定してくれる人に出会って完成する。

ミマサカリオリ側から見ると、
【推してくれる人がいることがどんなに幸せで、生きる糧になるか】

純恋ちゃん側から見ると、
【肯定や感想は、推しの作品を完成させることができる】

なんて風にも読み取れる。

Swallowtail Waltzを書いたミマサカリオリが、
書いたことを後悔しなくてよかった。間違いにしなくてよかった。
クリエーター、ファン、双方の立場に寄り添える作品でした。

たが君を読んでから、私は前以上に、プラスの感想なら尻込みせずに伝えていこうと思えました。
それが正解でも不正解でも、作者に取捨選択してもらえたらそれでいい。
だって、純恋ちゃんが何もしなければ、ミマサカリオリはあのとき潰れていた。
私のなんのひねりもない感想の一つでも、推しに少しでも響くものがあると信じて生きたいです。

まずは手始めに、ではないけれど。
踏み出す一歩として、たが君を推しに差し入れしました。
本をプレゼントするってハードル高いのに、何してんの?って思います。
でも、綾崎先生の御本だったから自信を分けてもらえたんだなと。
クリエーターの立場から読むと、どんなふうに見えたんだろう。気になります。

最後に、綾崎先生、今回も心を揺さぶられる作品をありがとうございました。
毎回素敵な題材で描かれていて、ときめかずにはいられません。
欲を言えば、Swallowtail Waltzがめちゃくちゃ読みたいです!

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