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トゥルーマン・ショー感想

読み手を意識しないただの書き散らしだこれは。

最初に大まかな感想。

ジム・キャリーさん出演の映画、マスクでハマってバットマンフォーエバーで惚れて、やっと見れた、トゥルーマン・ショー。
ジム・キャリーさんが有名すぎるんでやっと履修しましたって感じだが。ありがとうNetflix。

自分以外の全てが作り物で、偽物の人生を歩んでるトゥルーマンの物語。全世界に見つめられながら自分は本当の人生を歩んでると思ってた。歩ませてると思ってた監督。

誰かにコントロールされる完璧な人生より誰にも指図されない本当の人生を歩みたかったトゥルーマン。

なんか、超おぞましい映画だな~と思った。下手なホラーよりよっぽどこわい。

トゥルーマン・ショーはおぞましい映画

なんでこんなにおぞましく感じるか。トゥルーマンと観客の関係が完全に一方通行だからだと思う。ヒエラルキーで言ったら完全に視聴者が上、トゥルーマンが下。本人の人格、人権、思想、全てを無視して一方的に視聴者は彼の人生を娯楽として消費している。グロすぎる。こんなことが本当にあってたまるか。なんてひどい視聴者たち、スタッフたちなんだと憤りすら覚えるけど、この映画の鑑賞者である我々もそれに巻き込まれてるっていうのが一番グロい。その構造がえげつない。

映画を見ている観客は、トゥルーマンがこの世界は仕組まれてると気づき、その世界から抜け出そうとする彼を見て応援したい気持ちになる。テレビ番組プロデューサー(クリストフ 演:エド・ハリス)のことはとんでもない悪役に見えて、彼が仕掛ける数々に苦しむトゥルーマンにハラハラする。
でもこれって、トゥルーマンという一個人を消費してる視聴者と全く同じことしてるんですよね。そのことに気づいた時、トゥルーマンという人物にすっかり肩入れしていた私はこの映画を見ている自分すら気持ち悪くなった。人の人生を本人の承諾なく消費していい人間なんて誰もいないのに。

それからは映画を通して彼の行動を見ることそのものにすら罪悪感を覚えはじめた。私が見ている映画の中の映像は全部テレビ番組「トゥルーマン・ショー」の隠しカメラが映したものという暗黙の了解がある。つまり彼の行動の中で、この映画の中で、監視されていない彼のみが知る行動を映した映像はひとつもないのだ。彼が映画のラストでボートを奪って海へ逃げるシーンがあるが、そこまでの経過を描いたシーンは映画中ひとつも存在しない。なぜならクリストフたちが気づいていなくてカメラを回せなかったから。最悪~~

最後にトゥルーマンがシーヘブンを抜け出すところで大盛り上がりした視聴者たちのシーン、私はとてもとてもそんな気分にはなれなかった。彼に恋をして彼にトゥルーマン・ショーの真実について伝え、世界から抜け出すきっかけを与えたローレン(シルヴィア)が喜んで駆け出すシーンさえ感動できなかった。だって彼女だってトゥルーマンを鑑賞している一人にすぎない、彼を一個人ではなくエンタメとして消費しているうちの一人に過ぎないのだから。本当にトゥルーマンの人格や人権を認めているのなら本来は賛同者を集めて裁判でも起こすべきなのだ。彼の脱出劇を指をくわえてテレビの前で鑑賞してた時点で彼女もトゥルーマンをカゴの中のハムスター扱いしてることに変わりない……というのは少々過激な意見だけど。クリストフと口論してるとこだって彼女の本心かわかんないよね、ってところまで疑っちゃったりして。

作り物の映画でよかった

鑑賞した結果、ちょっと前に流行ってた恋愛リアリティショーを私が全く見られなかった理由を図らずも言語化できるきっかけになった感じがする。そう、人の心なんて操れるものじゃないのに、それを見世物として楽しむあの文化が、出演者の人権を侵害してるかのようで楽しめなかったんだ。実際は多少台本もあるし、出演者も(当たり前なんだけど)契約の上である程度納得ずくで出演してると聞いてたいへん安堵したのを覚えてます。SNSで出演者に攻撃する視聴者が最低だなってのは変わらないけど。

トゥルーマン・ショーも作り物の映画で本当に良かった。トゥルーマンはジム・キャリーさんという成人男性が映画製作会社と契約し、納得の上で出演されていて報酬もしっかり支払われている。これがどれだけ素晴らしいことか、このおかげで私は安心して映画その他映像作品を楽しめるのだ。普通の映画を普通に見られる幸せを再確認できるという意味でいい経験になった。

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