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3月25日

※時代、ジェンダーなどに相応しくない言葉が出てきますがご理解の程よろしくお願いいたします。


親戚は皆、祖父のことを目の敵にしていたけれど、私はずっと祖父みたいな人になりたかった。


みんなから愛されていた祖母が亡くなった時も、祖父は笑いながら「またな!」とちょけるような人だった。

愛する妻に先立たれ、いちばん苦しいのは祖父だったはずなのに笑顔で「またな!」と言える祖父に、私は深く尊敬した。
一方、親戚は許さなかった。酷く祖父に当たった。
「こんなところでふざけるな。」「来ない方が良かったんじゃないか。」
とても聞いてはいられなかった。


母は若くして私を産んだ。
父はいない。
母は稼ぎに出ていたので、幼い頃から祖父母に育てられた。
ふたりは私にとっての唯一の家族だった。


2017年12月、祖母が亡くなった。
脳卒中だった。
当時、中学2年生の私にはとても重い出来事だった。
それでも祖父は涙ひとつ見せなかった。


お葬式などあらゆる行事が終わったある夜、仏壇の前で祖父が、私と私の母に語り始めた。

「みよ子、お前が先に逝くなんてな。いつも眉間にしわ寄せてばっかりやから早死にするんや。」

「みよ子(祖母)はいつも〇〇(母)のこと気にかけとったんや。」
「〇〇(私)のことも自分の娘みたいに可愛がっとったんや。」

綺麗にたたまれた薄手のハンカチで涙を拭いながらそう言った。

初めて祖父の涙をみた瞬間だった。

この人の心はたしかに暖かい。

昭和生まれの男としてのプライドがあったのだろうか、ずっと涙を我慢していたんだと思う。

祖母のお葬式で「またな!」と言った祖父は、何もふざけて言った訳じゃなかった。
死んだ妻のために大勢の親戚が集まってくれた。この暗い雰囲気をどうにかしよう、不器用な祖父の最大限の気遣いだった。

おじいちゃん、私はおじいちゃんの孫でよかったよ。
興味のなかった野球の番組、おじいちゃんと観てたから私の彼氏が話す野球の話もなんとなく理解することができるよ。
糸井とか西岡とか知ってる名前がよく出てくるよ。
今度一緒に阪神タイガース、観戦するんだ。
おじいちゃん大好きでしょ。おばあちゃんも連れて来なよ。
阪神が勝つところ、一緒に観よう。


生きてるうちに親孝行出来なくてごめんね。

お誕生日おめでとう。大好きだよ。

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