短い記録278:続・巫山戯られる身体と能力が欲しい
ごきげんよう、ナガセです。
今日のヘッダーもCanvaからです。
そして内容は、昨日の続きです。
わたしが重視している、読み書きに共通して必要なことは「理解」である。
それは以下の2種類に分かれる。
自分の身体を通した経験=実体験
自分の頭を通した経験=見聞
と定義するとして、以前ちょっと書いたんだけど
このような感じで「実体験」と「見聞」を分けていた。
今読み返すと「先生の一言を聞くまでは『経験してないからって書けないわけないじゃん、想像力なめてんのかよ』って思ってたフシがあった」は、喧嘩腰な書き方になっているけれど、もちろんそれは違う。
想像力を軽んじるだけのような一方的な物言いに対して、これまでわたしが強く感じていた気持ちと、先生の説明を聞いて初めて「実体験を重ねること」を考え直したという経過の話。
さて、流れを戻して。
実体験として理解できる、またはしている
見聞として理解できる、またはしている
わたし自身の読み書きには、この2つが必須。
そのためには見た目はどうやって使えるのか?
端的に言い表すと「防御」と「成形」だ。
防御:見た目である程度の線引を行い、無遠慮にパーソナルスペースに踏み込まれないようにできるので、時間や能力のリソースを無駄遣いしないですむ
成形:芽生えた考え事が内面の成形で執筆に直結するならば、見た目を自分の意思で形作ることでもまた実体験の経験値を増やせる
結果、見た目をうまく使って読み書きに使えるリソースを増やせるのではないか。
今のところ、これが一番近いかなあ。
考え事はまた明日ももうちょっと続く。
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