ネルシャツの高校
nirvanaのKurt Cobainが亡くなってもうすぐ30年余り。
高校生の頃の学校帰り田園都市線に降りる渋谷駅の階段の天井にバカでかいKC没後10周年ボックスセットの広告がしばらく貼ってあり驚いた。ネット通販が無いからタワーレコードやユニオンにCDやムックを買いに行く時代だった。もちろん買った。3枚組の未発表音源とDVD。1日8000円のバイト代をそうやって使っていた。通っていた高校は1週間で絶望的に肌に合わないことに気がついた。同級生はなんと言うか殆ど生きてるのか死んでるのかわからない恐らく自分が何をしているのかもわかっていない偏差値マシーンの集まりだった。バイトをしてる学友なんて1人も居ない。話をすればボクはもう少しで開成に受かったみたいなことしか言わない人たちだった。ちょうど高校3年生の終わりだった。これは必ず提出するようにと教師が何かを配り始める。俺以外の全員が一生懸命目を通した後無くしたら死ぬみたいな顔をしてカバンにしまった。名前も知らない隣の人に聞いたら共通試験の申し込み書だよとこちらの顔も見ないで笑った。
休憩が来たのでビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。なに。音楽を聞いて楽器をやっている。それが掛け替えのない一生の宝だと言うことが分からない連中にどう思われてもいい。本当はそんな彼らへ軽蔑以上にある種の関心を持っていた。しかし向こうが願い下げだった。何故か服装自由な校則だった。半分以上の男子生徒が色違いのネルシャツを着ていた。そう言う意味ではグランジだったのかもしれない。未だに定義がわからない。チノパンに謎の登山シューズはグランジで良いのだろうか。
音楽が好きな唯一の友人が居た。彼はポスト・グランジの空気が屈まる教室の雰囲気に耐えきれなかった様で我先に退学してしまった。友達も居なくなり一層音楽にのめり込んだ。最初のnirvanaとの出会いは「アンプラグド」。エフェクトまみれのアコースティックの音が最悪だった。(後にORGレコードに針を落として大ドンデン返しをくらう。全く違う。プラグが通っていない様なギターと低音とストリングス。何より声。原盤は無理だから再発が待たれる)。次は「イン・ユーテロ」。あんなに叫んでるヴォーカルを聴いたことがなかった。もはや既にKCの影響を受けていた。粗大ゴミを出すのが面倒臭いから’Scentless Apprentice’を聴きながらストラトキャスターで家族の誰も使わないタンスを粉々にして燃えるゴミの日に出したりしていた。スティービーレイボーンの「ストラトは投げても壊れない」は本当だった。
学校といえばバイトに疲れて単位が足りず落第の話が出ていた。高校3年生の3学期に退学したら面白いなとか考えていた。そして
もう20歳で死のうかなと思いながらアンプヘッドみたいな馬鹿でかい富士通のメモリーが500しかないパソコンにDVDを入れた。
20歳のだらしない長髪のKCが誰かの家で一生懸命リハーサルをしている。
27歳までは生きてみようと思った。
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