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「ムーンライト」みました

というわけでネトフリでムーンライト見ました。

先に言っておくこと

家族で見るとちょっと気まずくなっちゃうタイプです。そして扱うテーマがテーマなだけに1人か”立ち止まって物事を考えられる賢い人”と見るのがよいと思います。派手な爆発も起きないし、魔法で空を飛ばないし、突然歌い出さないし、オーケストラも特に出てきません。そういうのが見たい人はさしあたって「セッション」を見てください。

あらすじ

・3パートに分かれて主人公の人生をたどる

これだけ?まぁほんとにこれだけです。それだけに、「立ち止まってアレコレ自分で考える」必要があるという気がします。僕はひねくれもので1回でわかる!たのしい!かっこいい!だけで終わらない映画を見たりしますが、「ムーンライト」はそんな映画じゃないでしょうか。かくいう僕もここに感想を書いていろいろ考えようと思っているわけです。

感想とか

非常にシンプルな作品でした。最近のアメリカな音楽みたいな感じです。誤解を恐れずに言うと予定調和といえるかもしれません。つまり、3パートありますが、それぞれ何が起きるかだいたいわかりました。

1.リトルは最初のパート。あんまり詳しく語ると面白くないかもなのでボヤボヤした語りにします。リトルは主人公シャロンのあだ名。まぁ身長が低いからというだけの安直なネーミングです。よくあります。幼少期なのでそんなもんです。

ここでは重要な人物と喧嘩別れすることになるんですけど、どうもそういうのに弱いらしくて(僕は喧嘩別れするほど友達はいませんが)ちょっと泣きました。逆に友達がいないことでなくす悲しみに耐えられないんでしょうかね...。

他にジャンキーな母親とかいじめっ子とかいろいろ出てくるんですが、まぁとりあえずいいんじゃないでしょうか。ジャンキーな母親といじめっ子って想像はつきやすいですからね。

しかし助けてくれた人物を嫌いにならざるを得ない状況だったし、そもそも中途半端なことしない方がいいよねーとか思いつつ、いざ自分がその立場になったら自分が水滴なんじゃないかと思うほど泣きますね。

なんかここでシャロンが名言めいたことを言われるんですが、その伏線をどう解釈したらいいかわかっていません。が、とりあえず後の方で触れることにします。


次にパート2のタイトルは「シャロン」。ようやっと名前で呼ばれるようになったわけでございます。だいたい20分か30分くらいだったかな。本当はここのはじめで喧嘩別れした人物が亡くなったことがわかります。治安悪そうなところではありますしいついなくなってもおかしくはなかったんでしょうが、喧嘩別れした相手に死なれるのはキツイっすねー。

2ではシャロンが高校生くらいになってます、多分。海外の教育事情はよくわからんです。ここでは唯一無二の友達ケビンとの話がメインです。タグにLGBTQって書いてあるし展開はわかってください。それと先に書いた家族と見ない方がいいってとこにも注意。

ただいじめはまだ続いている上、母親もシャロンにたかるなかなかひどい感じです。しかもそのケビンがいじめに加担せざるを得なくなります。うーん、難しい。

僕はいじめる方というよりはいじめられる側だったのでケビン側の気持ちがちゃんとわかるわけではありません。しかし、友達が自分のいじめに巻き込まれるつらさというかどうしようもなさはよくわかります。ケビンがいじめられるのも嫌だけどその友達に殴られるのは...。

さすがにシャロンも黙っておらずいじめっ子のボブマーリー野郎をボコボコにします。強い。ところがそれが原因で警察の厄介になり、パート3で少年院にいたことがわかります。


ここについてちょっと語りたいことがあります。なんとなくわかると思いますが、現実でも喧嘩両成敗みたいな流れになるんですよね。僕はどうもそれが納得いきません。前後のいじめの流れがあったり、特に今回はケビンを巻き込んだりしてシャロンを怒らせてますし、圧倒的にボブマーリー野郎の方が悪いのですが、捕まったのはシャロンの方です。この辺は人種差別を意識しているのかもしれませんね。

こうなるとやり返しても得がありません。とはいえ現状が続くと下手すると死ぬのでは?とか思い出したりするわけですな。そういう輩は基本人間じゃないので何を言ってくるかわかったものではありません。だから殺すまではいかなくとも再起不能にしておかないと自分が危ないので徹底的に一括返済するのですが、どうも世間は一括返済が嫌いらしいです。リボ払いし続けるのもいいですが、心の負債は減りません。

校長らしき人物が「あなたの苦しみは~」と声をかけ続けますが、好きな人にぶん殴られたシャロンの気持ちがわかるはずはないと思います。それにそんなこと言いだせるならこんなことにはなってないかもしれないわけです。

ただ、ケアを充実させるべきだ!とか浅いことを言いたいわけではありません。というか僕にもよい対処法が思いつかないんですよね...。大人が介入してなんとかなるものでもないと思いますし...。

強いてなにか挙げるとすれば、意見の違いからの喧嘩なのかあるいは欲求不満を晴らすための嫌がらせなのかを分け、後者であれば精神科にぶち込むしかないのかなーと思っています。どう考えてもサイコパスかメンタルやべー奴ですからね。問題は判定とか施設とかいろいろありますけど...。それにアメリカだと今の「常識」が人間じゃねぇことに気づくのも大変そうです...。


パート2はこれくらいにして、3.ブラックの話。パート2でケビンはシャロンのことをブラックと呼んでいました。

由来は結局わからずじまいです。どうしてブラックなんだ...。強引にいつも暗いから、ということにしていますがケビンがそんなつけ方するかな?と思ったり。

青年になっても彼はブラックと呼ばれ、麻薬の売人をやっています。ムキムキで金歯はめてるめっちゃこわいお兄さんです。変貌ぶりがすごすぎてついていけません。ほんとにブラックになっちまったぜ。

ここでは母と和解したりケビンと再会したりといろいろあります。とりあえず本編みてください。

結局ケビンが全部持っていきます。あれからずっと謝りたかったんやーとか、好きだった時のこと思い出したんやーとかいろいろ言ってきます。なんてふてえ野郎なんだ。お前結婚して息子もいたやんけ!シャロンも単純なので仲直りします。

ラストシーンではブラックからシャロンに戻ったんかな?と思わせるカットが流れます。しかもカットがある色一色なんですよね。おそらくここで伏線を回収した...んだと思っています。


ありふれた話というかなんとなく先が読める感じでしたが、僕は二人の恋愛模様がはじまり、完結するのが意外でした。そしてこれはLGBTQが僕の中に全く浸透していない、「普通」に落とし込めていないということを示しています。

つまり、ゲイが恋愛して映画が終わり、「なんか普通だった!」と言えるかどうかが僕は重要なのかなと思いました。ゲイってだけで特殊な映画っておかしくない?と投げかけられているような気分になりました。

この映画が言いたかったことってなんだろうと思ったときこの考えが自分の中でしっくりきました。はちゃめちゃでもないし、わかりやすくないし、ジェットコースター的でもありませんが、それが逆に我々を試していたのかもしれないなぁと思う作品でした。


で、「ムーンライト」についていろいろ考えてみました。ムーンライトは月明かり、つまり日の光をあびないということでマイノリティをイメージしてんのかなーと。そしてこの作品はバリー・ジェンキンズ監督と共同脚本を務めたタレル・アルバン・マクレイニー氏の「個人的な」エピソードがもとになっているらしいです。こういう現実が僕が鮭フレークをかけてブロッコリーを食べている隣で起きているんだぞというのもメッセージの1つかもしれません。

あとここを後から読んで知ったんですが、アメリカの同性愛差別って政治的な文脈で行われていたらしいんですよね。今となっては愚かだなーと思いますが本当に愚かなのは群衆の方だったりするんですよね。ナチスの悪行もそもそもはユダヤ人が比較的金持ちなんでその他の人たちが不満を持っていたから、なんて話もあるくらいです。

共通の敵を作ることでマジョリティを先導するのは結構よくあることです。嫌いな先生の悪口とかってどんどん増長するでしょ?僕は中学のころ隣のクラスがそんな雰囲気で引いていた記憶があります。結局その先生は教師をやめちゃったんですよねぇ。

そしてこの映画低予算だったらしいですね。ストレッチって本でリソースファーストにならないことの利点を学んでいたのでタメになりました。いやーどこで知識がつながるかわからんもんですな。


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