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いろんな方と、出逢ってきました

大学生のときからフリーでライターの仕事を始めて、最初にインタビューしたのは大貫憲章さん。取材後、ツバキハウスまで金魚の糞して、初めてタダで入れてもらえて、足が震えたり、後日原稿がまったく書けなくて、彼女のアパートでのたうちまわったり。

その後、いわゆるYMOファロワーを押す『テッチー』という音楽誌での仕事が増えたせいもあって、憧れのミュージシャンにお会いできる機会も増えました。

細野さんには、かつてトレンドだったライ・ミュージックのお話を伺うというので、知り合いからもらったばかりの臙脂色のトルコ帽?をかぶって行って、インタビュー後、つい置き忘れそうになって、すぐ取りに戻ったら「忘れていきなよ♡」ってあの声でささやかれて、うれしく忘れ物したり…。

幸宏さんの取材は、外苑前あたりの開店前のワインバーかなんかで、そういう場所を押さえられることに、大人を感じてたし、追っかけの女の子も数人いて、スター、でした。

坂本さんとは相性が悪くて、その前、『ホットドッグ・プレス』の第二特集で『未来派野郎』を取り上げてて(担当編集は当時講談社の社員だった いといせいこうさん)スタジオ撮影までしたのに、スタイリストが「あの人パンツ似合わねー」とかほざいてたら、ばっちり後ろに御本人が!という悲しい出逢いで 泣。

だから、テッチーでの取材時もめちゃ緊張して、合間に、当時話題になりつつあった、スチュワート&ガスキンのことを話そうとして、訳知り顔で「デイヴ・スチュワートっていいですよね」って伝えるつもりが、緊張のあまり、なぜか「デイヴ・スペクターっていいですよね」になっちゃって、赤くなったり青くなったり…。

鈴木慶一さんには、代々木上原のプロ用のリハスタでお会いしたんだけど、そのことより、取材の合間に寄った近所のスーパーで、中森明菜に接近遭遇!

そんときの明菜さんは妙にハイで、ごくありきたりな商品を手に取っては、スタッフさんに、いちいち「ねぇー、これ見てぇー」って、ゆらゆら、ひらひら、アピールされてて、まんま、ホラー映画のワンシーンだったから、慶一さんの記憶も、全部、吹っ飛んでてvv

あ、この連載、がんばって、

(つづけ、ますね)


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