単機能を追究する生活が必要では?

先日,車を走らせながらセルフトークをしている時,自分は単機能を追求していたのではなかったかということが言葉に出てきました。

単機能?

それは,一つのもの,一つの場所に一つの機能しか割り当てないという暮らし方です。

例えば,

🍏 この手帳は,歩いている時にしか使わない

🍏 このペンは,この手帖だけにしか使わない

🍏 この場所では,読書しかしない

🍏 この時間には必ずストレッチをする

🍏 この本はこの場所にしか置かない

・・というように,ものに与えられた機能や時間,場所をしぼることです。



これを志したのは,6年ほど前からなんですが,なんども挫折とやり直しをしています。

今回は,何度目のやりなおしになるんでしょうか。


なんでこんなことに取り組み始めたのかというと,それはとても簡単で,
僕があまりにいろんなことをしてしまうからです。

ですから,放っておけば,

ブログを書き,勉強し,本を読み,絵を描き,YouTubeを編集し,電子書籍を書き,PodCastを収録し,音楽を作り・・・

といった本当にいろんなことを,一つの机で取り組んでしまうことになります。


その結果,私の机は,絵を描くためのタブレットや,PodCastを収録するためのマイク,YouTube動画を撮影するためのカメラ,読みかけの本,音の入力用のミニキーボード,

そういうものとか配線とかでめちゃくちゃになってしまいます。

PodCastを収録するためにマイクをつなげて喋った後,イラストを描こうとすると,マイクの線をはずして,タブレットに繋ぎ変えないといけません。
そういうことが頻繁に起こるんです。

それで始めるまでに時間がかかったり,どこにいったのかわからなくなってしまったペンをさがしたりといった無駄な時間をすごしてしまったり。

ときには,PodCast収録しようと思ったのに,目の前のスケッチブックに目が行って,そっちの方に引っ張られて結局収録できない,といったことが頻繁におこります。

どれほどの,時間と,そしてモチベーションがけずられているかわかりません。


そういう状態を長くやってきたので,「単機能」という言葉になにかの本に触れた時,それが解決の唯一の道だ!と思ったんです。

その気持が盛り上がったときには,

「お出かけ用手帳セット」とか,

「イラスト専用のPC」とかつくるのですが,

当然与えられた場所とPCでは,僕のやりたいことをカバーしきれず,結局混沌にもどる,ということを繰り返しています。

そうして,なんでこんなに混沌としているのだろう,なんでスマートな生活ができないんだろうと思うということを繰り返しているんです。

ここ数年,混沌の中でうごめいていて,浮かび上がろうというような感覚さえわすれていたのですが,本当に昨日,久しぶりに,「そうだ単機能だ」と思い至ったわけです。


それで,また無駄な努力を始めることにしました。

🍏 ブログ,note,電子書籍,メルマガなど,テキスト仕事をするためのPCと場所
🍏 音楽作り,PodCast収録,YouTube撮影と編集用のPCと場所
🍏 イラストや絵を描くためのPCや場所
🍏 この本やあの本を置くための棚や場所

ざっくりわけて,少なくともこれをやらないと,僕の生活は混沌から浮かび上がることができないでしょう。

さらに,

🍏 お出かけセット(お出かけ用のメモ帳と,そのメモ帳用のペン)
🍏 お出かけVlogセット(お出かけ用のカメラとその付属品)
🍏 お出かけ作文セット(カフェでブログやメルマガを描くときのポメラや充電器など)

あたりはつくっておかないと

いらないものを持っていって,お出かけ先であれこれ迷ってしまうことになります。


どうせまた破綻するのですが,時々これをやることでなんだかちょっと生活が向上し,生産効率や学習効率が上がる気がするので,というより実際上がるので,また繰り返すことにします。

さっそくやります。

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