見出し画像

イラストACでダウンロードされる絵についていろいろ考えてみた

イラストACに一昨日投稿した靴の絵がダウンロードされた。

何か,用途があったのだろう。
僕はその方の用途に応えた絵を描いたのだ。

自分では,なぜこの絵がダウンロードされたのかよくわからない。
いったい,どこでこの絵を使うのだろうか。

描いておいていうのもなんだが,僕はこれを投稿する時,「これ,ダウンロードしてくれる人はいないだろうな」と思っていた。


それは,「自分が描きたい絵を描いたから」だ。


イラストACは,おたよりとかブログなどで,「この絵,挿絵にちょうど欲しかったんだ!」というような,「人が使いたいと思う絵」が投稿されるサービスだ。

PIXIVなどは,自分が描きたい絵を描いて投稿し,イラスト依頼などのオファーが来るようアピールしたり,描いた絵を見てもらいたいという承認欲求から投稿したりすることが主な使いみちで,見る方もう「使おう」という思いで見ることはない。鑑賞という目でPIXIVを使うのだ。


でもイラストACは「何かいい挿絵になるイラストないかな」という目的で見るもので,「あ,これこれ」と思ってもらえるようなイラストを先回りして描いておいて上げるものだ。

アドセンスなどでの収益を期待して記事を書くアドセンス・ブロガーの記事の書き方に似ている。

「必要とされるだろうイラストを予測し,先回りして描いておく」というのがイラストACに投稿する場合の考え方と言っていいと思う。


そういう目で最初の靴をみたとき,「使ってもらえるシーンが自分でもわかなない」という状態で投稿している。
「この靴,描きたいな」という「自分が描きたいもの」と,「人が書いてほしいと思うだろうな」と思って描く「人が必要としているもの」とはちがう。

最初の靴の絵は,後者だったのだ。


それがダンロードしていただけた。

なぜだかわからないが,図らずも僕は「使いたいと思われるイラスト」を描いたことになる。


毎日,多くのイラストを描いて楽しんでいるわけだが,その殆どは投稿しない。
自分の楽しみのために描いているからであって,必要とされている絵ではないと思っているからだ。

昨日は,Pinterstを見ていて60年代ファッションの写真があったので,それを見て下のイラストを描いた

画像1

描いたけど,イラストACには投稿していない。人がこれをどういう場で使うのか想定しておらず,ただ練習のために描いたからだ。


それなのに,なんで最初の靴の絵をかいたのかわからないが,ともかく僕は靴の絵を投稿した。

それがダウンロードされた。

描きたい,という私の気もちと,こういう絵がほしいという相手の気持ちとの折り合いがついたわけだ。


まだ70ほどしか描いていないので,上のような折り合いは今後経験を積むとともに,その折り合いがつく精度が上がっていったらいいと思う。

つまり,僕が描きたい絵が,人が欲しい絵になる,ということ。
そうなると,とても楽しいだろうと思った。


メルマガやってます。
「知的迷走通信」は,僕の知的迷走と,老後の不安に備えるためのブログの運営の仕方をメインコンテンツに毎週配信しているメルマガです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?