後ろ姿

十数年前の、ほんの一分のご縁

息子 ξ が、とても小さかったころのこと。

歩けるようになって間もないころから ξ は溢れんばかりのエネルギーをもっていて、私に似ずバイタリティーがありました。
どんなにたくさん歩いても、走っても、飛び跳ねても疲れというものを知らないようで、ぐずることがなかったのです。

けれども、その日は、空腹や眠気がいっぺんに押し寄せてきたようで、あとほんのわずかで自宅に帰り着くというところまで来て、ξ はついに道の真ん中に座りこんでしまいました。

「ξ 、あと少しでおうちだから、がんばって歩こうね」
しかしいくら励ましても、ξ は立ち上がろうとしません。
私も両手に大荷物を抱えていて抱っこできないし、どうしよう……

そのときです。
「はい!はい!はい!はい!」
後ろから、陽気な掛け声と、テンポのよい手拍子が聞こえてきました。

おどろいて私が振り返ると
「さあ、ぼく! 立って歩くよ!」
私たちに追いついた見知らぬおばさまが、ξ に声をかけてくれました。

ξ はその声に操られるように立ち上がったかと思うと、手拍子に合わせて行進を始めました。
呆気にとられて立ち尽くしていた私も、あわててξ を追います。
「はい!はい!はい!はい!もうすこしで おうちかな。
はい!はい!はい!はい!」

もう疲れちゃった…というマイナスの気持ちを、なんだか楽しい!というプラスの気持ちに切り替えると、大人も子どもも自分の内側から前に進む力が湧いてくる。
おばさまは、体験として会得していたのでしょう。

親子という直接的な関係を超えたところから、子どもも親もまるごとあたたかく見守っていて、ここぞというタイミングで声をかけ、さらっと手を差し伸べる人生の先達でした。

どこのどなたかわからなかったけれど、おばさま、あのときはありがとうございました。
ほんの一分ほどのご縁が、十数年経っても鮮やかに心に残っています。
おばさまのことを思いながら、道でゆきあう見知らぬひとに、心だけでなく声もかけられるようになってきたのは、私も歳を重ねて、余計な人目を気にしないようになれたからかもしれません。

歳を重ねるって、ちっともわるいことじゃない。
だって、心のままにひとに声をかけたり、弱いところをみせてひとに頼ったりできるようになって、心が自由に解き放たれて生きやすくなってきたのですから。

(写真提供:笹渕乃梨)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?