ホームシック・ヒロイン


私は幼い頃から、自分の欲求をおもてに出すのが苦手だった。
赤い自動車のおもちゃが欲しいと大声で駄々を捏ねて泣く弟の横で、私もピンク色をしたうさぎのぬいぐるみが欲しいと心のなかで思っていた。
だけど口には出せなかった。私はあれが欲しい。その一言が、いつも言えなかった。
そして結局欲しいものを手に入れるのは弟のほうで、買ってもらった赤い自動車を手に誇らしげな顔をする弟を横目に、私はいつも、きよかちゃんは良い子ね、勇人みたいに駄々を捏ねたりしないものね、と褒められたのだった。
本当はそんな称賛よりも、ピンクのうさぎが欲しかった。
泣き腫らした赤い目をきらきらと輝かせて、手に入れたものをしげしげと眺める弟のことが、いつも羨ましかったのだ。

それなのに私は、その先も似たような自分のまま、そんな自分の身の丈に合った人生を歩んできた。
二十七歳。子どもと呼べる時期はとうに過ぎてしまったけれど、自分は大人だと胸を張って言えるわけでもない微妙な年齢。そう感じるのはおそらく、何ひとつ自分の意思で物事を決めることがなかった自分のせいでもあった。
職業は、生まれた地方都市の市役所職員。
安定したその職業を目標に励む人もたくさんいるのだし、張り合いを持って仕事を頑張っている人がいることも知っている。だからそれ自体は立派な職業だとわかっているけれど、私自身は、なんてつまらないのだろう、と思っている。
そこそこのレベルの高校を卒業して、地元の大学に入り、長年公務員として働いていた父の取り計らいで市役所に入職した。
中学時代の成績に見合った高校を担任の先生が薦めてくれたからそこを受験したし、高校卒業後の進路を迷っていた私に母が「とりあえず大学にでも行きながら考えてみたら」と薦めたから大学に入ったし、大学の四年間を使っても結局したいことを見つけられなかった私に父が「市役所なら顔が利くけどどうだ」と言ったからそれに従った。
誰かのせいにしたいわけではなくて、本当にそうだったのだ。
大学に入る頃にはもう、自分がどうしたいのかという意思を確認する術を失っていたように思う。子どもの頃からの癖が、すっかり染み付いてしまっていた。
それに事実、誰かの言う通りに人生を運んできた私には、大きな失敗や挫折はなかった。
選んだのは誰かの助言によるものだったけれど、受験を乗り切ったりとくに問題を起こさずに仕事をしているのは自分の力でもある、という自負も無いわけではない。
でもやはり、なんてつまらないのだろう、という暗澹とした思いを心の奥底のほうに漂わせながら生きているのもまた、私のなかでは事実だった。

そしてまた、そんな自分が生み出した、ひとつの出来事があった。
真壁さんという、少し前までの同僚がいた。彼が別の課に異動になって四月から同僚ではなくなったものの、その直前までの二年間同じ課で働いていた三つ年上の人だった。
はじめから私は真壁さんに好感を抱いていたけれど、それを自分から口にすることはなかった。同僚だったからうまくいかなかった場合気まずくなると思ったし、自分の意思を見せてこなかった結果二十七年間恋人ができたこともなかったから、実際のところどうすればいいのかがわからなかった。
同僚になって一年が過ぎた頃、真壁さんのほうから食事に誘ってきた。
喜びと戸惑いが入り混じった気持ちで私はオーケーの返事をして、それから何度か食事に行った。その時間はとても楽しいものだったし、私の彼への好意は、淡いものからくっきりしたものへと変化していった。
おそらく真壁さんも、私のことを嫌いではなかったと思う。話もそこそこ合ったし、彼の態度を見ていて、そして食事に何度か誘われたことからも、嫌われていないことは自分でもわかった。自惚れたことを言ってしまえば、多少は好意も抱いてくれていたと思う。
それでも付き合っているわけではない期間が数ヶ月続いた。
私は自分から真壁さんに好意を伝えようか迷ったけれど、経験のなさが臆病さへと変わって、結局それまでの人生をなぞるような形で、自分の意思をおもてに出すことができなかった。
確実でないものは怖かった。
それまで経験した受験は、ほぼ間違いないと周囲に太鼓判を押されたから進めたし、就職は父のコネがあったから怖がらなくても確実だった。
それ以外のことも大抵、私は安全牌なほうを選んできた。
外食先で味が想像できないメニューは選ばなかったし、洋服を買うときは黒、紺、ベージュなどのベーシックな色を選んだ。天気予報の降水確率が三割を超えたら傘を持って出かけたし、転ばないようにヒールが三センチ以上の靴は選ばなかった。
私の周りに目立った危険は無くて、常に安全だった。
だから不意に舞い込んできた初めての恋のときも、私は自分から進んで欲求をおもてに出すことができなかった。そしてそのまま、数ヶ月が過ぎてしまった。
真壁さんが同期の千晶と付き合い始めたのは、そんなもやもやとした数ヶ月の途中のことだった。

ピンク色のうさぎ。
目の前のウエルカムボードには、にっこり微笑む新郎新婦の似顔絵。そしてそれを飾る花たちや白いくまのマスコットにまぎれて、小さなピンク色のうさぎも飾りつけられていた。
私は目を細めてそれを見た後、心のなかで深いため息をついた。
ピンク色のうさぎ。
私は幼かったあの頃から、何ひとつとして変わっていないのだ。

この春、真壁さんと千晶は結婚した。
出来ちゃった婚で、千晶のお腹が目立ち始める前にと、バタバタと披露宴を決めたそうだ。
そうだ、と伝聞風に言ってみたものの、その話は千晶本人からリアルタイムで聞いていた。だから事実以外の何物でもない。千晶が私に、嘘をつくわけもないのだから。

千晶は同期入職で、同じ課の所属になったことはないものの、働き始めた頃に開催された飲み会がきっかけで顔見知りになり、親友まではいかないもののそこそこ仲の良い友人関係を築いていた。
たまに食事に行ったり、買い物に出かけたりする間柄。一緒に旅行に行ったり身の上話をするほどではないが、女友達と言える範囲内にいる人。千晶はそういう相手だった。
そうだったからこそ、私は真壁さんに好意を抱いていた期間中も、千晶にその話をしたことがなかった。変な見栄もあったせいか、好意があるだけで付き合っているわけではない人のことを、話すことができなかった。
真壁さんと何度か行った食事のことさえ、千晶には話していなかった。
どうして話さなかったのだろうと後悔したのも後の祭りで、その時にはすでに、真壁さんの隣の指定席には、しっかりと千晶が収まっていた。
千晶は前々から真壁さんを気に入っていて、千晶のほうから何度かデートに誘って、何度目かのデートでホテルに誘い込むことに成功したのだそうだ。
それで、そのときに出来ちゃったの。そう言って誇らしげにはにかむ千晶の左手薬指には、一粒ダイヤのシルバーリングが光っていた。
その時の千晶の姿が、過去に見たことのある誰かに重なった。
――そうだ、勇人だ。
弟の勇人だった。赤い自動車のおもちゃを手に、誇らしげな顔をしていた小さな弟。
そのとき何も手に入れられなかった私の気持ちは途方に暮れて、きよかちゃんは駄々を捏ねないから偉いね、という称賛の言葉もすぐに紛れて消えてしまった。
結局私の手には何も残らなかった。あの時も、そして今も。
ピンクのうさぎも、真壁さんも、ただ目で追うだけで終わってしまった。
千晶が真壁さんと付き合い始めて結婚が決まるまでの間、何度も聞かされた千晶の惚気話を、何も感じないふりをして聞き続けたのも、他でもないこの私だった。
「こないだデートでね、何が食べたい?って訊かれたから美味しいイタリアンって答えたら、久幸がめちゃくちゃ美味しいパスタ屋さんに連れて行ってくれたの。そこのジェノベーゼが絶品で。今度きよかも行こうよ」
そうだね、と答えながら私は、ジェノベーゼの味がまったく想像できない自分を呪った。
そして私ならばきっとそこで、美味しいイタリアンが食べたいとすら言えないのだろうと思った。何でもいいです、どこでも構いません。主張なくそんなことを答える自分の姿が容易に想像できて、私は心から辟易した。

そして最大の惚気である披露宴を見せつけられ、心にもないのにおめでとうを言い、ケーキ入刀の写真を撮り、ブーケトスに形だけ参加した。
私の心は空っぽだった。
華やかに着飾った参列者のなか、私はベージュ色のワンピースに、三センチヒールの靴を履いていた。
人の波に埋もれる私を誰も見ていない。そう思うと哀しく、そしてとても清々しいような気持ちになった。

披露宴が終わり、出入り口で参列者を見送る新郎新婦に、形ばかりの挨拶をした。
真壁さんは少しだけ気まずそうな表情で私を見ていたけれど、私はただ、おめでとうございます、千晶を幸せにしてあげて下さいね、とだけ言った。
私は、ここで二人に復讐できる立場にさえ立てないまま、終わってしまったのだ。
千晶は幸福に満ちたぴかぴかの笑顔で、これはお世辞でもなんでもなく、とても綺麗だった。自分の手で、多少強引にでも欲しいものを手に入れた人の自信が、そこには在った。

会場を出て、再び目に入ったウエルカムボード。
私はそれをしばらくぼんやりと見つめた後、飾られたピンクのうさぎを、そっと抜き取って引き出物の袋に落とした。
ピンクのうさぎ。
幼い頃から私のことをがんじがらめにするもの。
本当はずっと、欲しかったもの。
うさぎを袋に入れたまま、私は歩き出した。
人波に埋もれた私の行為を、誰も見てはいなかった。

END.

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