最後の夜明け


ひどく冷え込んだ冬の夜だった。
バタバタと忙しなく家を出る準備をしていたら、インターフォンが鳴った。
普段こんな時間に来客なんてないのに、どうしてこんな時に限って。
思いながらも仕方なく玄関に走り、はい、と言いながらこちら側からドアを押した。
「え?」
思わず心の声が出た。
そこに立っていたのは、幼馴染のナオトだった。
「おう」
「おう、って。何で…?」
「いやー、ちょっと挨拶に来たよ」
ナオトは私の返事を聞かず家にあがりこんだ。私は慌てて彼を追った。
勝手にこたつに入ってくつろぎ始めるナオト。
私は夢を見ているのかと、まるで漫画みたいに自分で頬をつねった。だけど覚めることはなかった。
これは紛れもない現実だ。
「なぁ、みかん食べていい?」
「…うん、いいけど」
「やっぱり冬はこたつでみかんだよなー」
ふふん、と悪戯っぽく笑う彼は、どこからどう見ても、私が小さい頃からよく知っているナオトだった。私はただ、その場に立ち尽くした。
「どーしたミナミ?」
「どうしたって…」
「いいからお前もこたつ入れよ」
オレのこたつじゃないけどな、と笑いながらナオトは言う。
私はまだ夢を見ているような気持ちのまま、言われた通りこたつに入った。
「久しぶりだなー」
「…うん」
「なんかミナミ、綺麗になったな」
「そうかな?」
「うん、綺麗になった」
しばらく会わないうちに、と付け加えて、ナオトはおいしそうにみかんを頬張った。
にこにこと笑いながら佇む彼は、どこも変わっていないように見えたし、きちんと生きているように見えた。
どうして、と思う。
やはり私が今見ているのは、夢か幻か何かなのだろうか。
「オレさー」
「うん」
「ミナミのこと、ずっと好きだったんだ」
「…え?」
「言わなきゃ、って思ってさ。幼馴染だし言わないでおこうと思ってたけど、やっぱり言わなきゃ、って。このままだと後悔しちゃうからな」
へへっ、と少年のように顔をくしゃりとさせて、ナオトは笑った。
それは私がずっと見てきた彼の笑顔で、そして私が大好きなものだった。
「…私も、ナオトが好きだよ」
「まじで!」
「…うん」
「そっかぁ、両思いだったかぁ」
ちょっと悔しそうにナオトは言った。
そしてこたつから出て立ち上がると、私の背後にしゃがみこんで、後ろから私を抱きしめた。
「もっと早く言っときゃよかった」
「…そうだね」
「傍に居てほしい、って言うのってさ、簡単そうで案外難しいもんなんだな。オレたち、ちょっと近すぎたのかもな」
切なそうな声でナオトが言った。
私が振り向くと、ナオトはふっと笑って、私にキスをした。温かく、まるで血の通ったような唇だった。
「みかん味のチュー、だな」
茶化して笑って、ナオトは私を抱きしめる腕を解くと、立ち上がった。
「そろそろ行くわ」
「えっ」
「実はオレさっき、死んじゃったみたいなんだよね」
軽く言い、さっきまでと同じように笑うナオトを見て、私は眩暈を起こしそうになる。
つい一時間前、母から電話があったのだ。ナオトくんが事故で死んだ、と。
バイクに乗ってて、飛び出してきた子どもを避けようとして転んで、ガードレールに激突して。
即死。
信じられない言葉たちを、私はつい一時間前に、電話の向こうから聞いたばかりだったのだ。

どうして、ナオトはここにいるのに。
どうして、気持ちが通じ合ったのに。
どうして、どうして。
どうして、神様はナオトを、どこに連れていくの。

「待って!」
玄関に向かいはじめていたナオトを追いかけると、彼の身体をぼんやりと透けて、今にも消えてしまいそうだった。
「待てないみたい」
切なそうに笑う。どうして、と私はもう一度思う。
急いで部屋に戻ってコートをひっ掴むと、私は玄関に走った。
「せめて、送ってく」
どこに送って行くんだろう、と思った。だけどとにかく外に出た。
冷え込んだ冬の空の下を、ふたりで並んで歩いた。
涙をこらえるために空を見上げると、そこにはぼんやりと月が浮かんでいた。
「ミナミ、オレのこと、忘れないでな」
「…うん」
「あーでも、こんなこと言っちゃ負担になるのかな」
「ならないよ。絶対、忘れない」
ナオトは照れくさそうに笑って、私はまた涙をこらえた。
「でも、ちゃんと、幸せになれよ」
オレはそう出来なかったけど、と淋しげに付け加えた。
引き止めたくてナオトの腕を掴もうとしたけれど、彼の身体はすでに透き通っていて、私の指はするりとすり抜けた。
掴めない。引き止められない。
ナオトが行ってしまう。
「ここからは一人で行くよ」
「待って」
「じゃあ、バイバイな」
有無を言わせない強さで私の言葉を遮り、ナオトは進んでいった。振り返りもせずに。
私は追いかけることもできないまま立ち尽くす。
「ありがとミナミ!」
そしてふっと、ろうそくが消えるようにナオトが姿を消す刹那。
彼の背中に、ばっと大きな白い羽根が広がったのが、この目に確かに見えた。
私の名前を呼ぶ、甘い声の余韻を残して。

立ち尽くす私の上空に、私を慈しむような、優しい月が浮かんでいた。
どうかこの先のナオトを守ってください。私はそう祈り、涙の滲む目を閉じた。

END.

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