眠り病


彼女はときどき、冬眠をする。
冬眠、と言っても冬に限らず、春でも夏でも秋でも、もちろん言葉通り冬であっても。
季節も期間も時間もまちまちな彼女の冬眠は、不定期に、そして予想外にやってくる。

予兆は一応あるのだが、その予兆が起こるのが直前すぎて、予兆としてはあまり役に立たない。
冬眠に入る一時間くらい前、彼女はケーキやらチョコレートやら大福やらキャラメルやらプリンやら、とにかく大量の甘いものを買ってきて、それらを凄まじい勢いで食べ始める。
あまりの勢いに僕は見ているだけで不安になるのだけど、大丈夫?気持ち悪くない?吐かないでよ?等々僕の心配の言葉は、彼女にはまるで聞こえないようなのだ。
とにかく彼女は大量の甘いものを食べ尽くし、そしてベッドに入る。それが冬眠前の栄養補給なのだと気づくまで、そう時間はかからなかった。

冬眠は、三日くらいのこともあれば、一週間続くこともある。これまでの最長は二十三日だ。
僕は最初ひどく心配して、眠る彼女をかついで病院に連れ込んだこともあった。しかし医者には「眠ってるだけですね」と言われただけで、すぐに帰された。
いまはだいぶ慣れて、僕は僕の生活をこなしながら、彼女の冬眠を見守るようになった。
平日は仕事をして、休日は読書や映画鑑賞などをして。その合間に、眠る彼女をながめる。
彼女はとても幸福そうな顔をして眠っていて、何かいい夢を見ているのだろうか、と思ったりする。
彼女が眠っていて話が出来ない期間はさみしさも感じたけれど、彼女の幸福な寝顔を見ているだけで、どこか僕も満たされたような気持ちになるのだった。

彼女は元々とても繊細で、いつも傷だらけの身体で生きているような人間だった。
誰かの言葉に傷つき、誰かの奥底に眠る感情を察しては傷つき、誰かの醜さに打ちのめされては傷ついていた。
それでも立ち向かう彼女は戦士のようであったけれど、傍にいても何もしてやれない僕自身を、僕はいつも責めていた。
そしてある日、戦い続けられなくなった彼女は、自分で自分を壊すことですべてを解決しようとした。
そのときの傷は彼女の腕にいまでもうっすら残っていて、僕は眠る彼女の傷痕に、いつも触れてキスをする。

冬眠は、自分を壊すことを諦めた彼女が選んだ、唯一の自分を生かす方法だったのだ。
だから何もできない僕は彼女をただ見守り、傷痕に触れ、そして彼女が時間を置いて再生するのを、ひたすらに息をして待つ。僕にはそれしかできないから。

彼女が目覚めた。今回は十一日間の冬眠だった。

「おはよう」

僕が笑顔で言うと、彼女は眠そうに目をこすったあと、ひっそりと笑む。

「よく寝た」
「うん。十一日間だったよ」
「そう?案外短かったな。もうちょっと眠ったかと思った」

あくびをする彼女を僕はかるく抱きしめ、彼女が眠っていたあいだに起きた話をしはじめる。
それは他愛のない、特別話す必要のないような話。

「春だね」

彼女が呟いた。今回は、春の冬眠。
今日は特に暖かく、窓から射す柔らかい光の粒が、すでに訪れている春を伝えていた。

明日一緒に桜を見に行こうと約束して、僕らはベッドに入った。
冬眠ではない普段通りの眠りが、春の夜に優しく訪れた。

END.

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