散る花


この人は私の顔を見るといつも「可愛い」だとか「綺麗」だとか言って褒めそやした。
なんとなくくすぐったい感情を抱いたのはほんの初めのうちだけで、それはあっというまに苦痛へと変わる。
私は自分の顔が美しいという自覚があった。
気づいたのはおそらく小学校の高学年の時だ。大人たちの言う「可愛いね」という言葉が、全般的な子どもに向けられるそれとは種類の違うものだと気づき始めたのがその頃だった。
いやらしい目で見てくる大人がいることにも気づいていたし、怖い目に遭う時もあった。
実際の経験は何もないまま視線で穢されていく。自分が汚いもののような気がしながら、自分の美しさを自覚している。アンバランスな子どもだった私は、私の外見を褒める男を嫌悪しながら、自意識だけがやたらと強い大人になった。

この人は、私の顔以外には興味を持っていない。
「私のどこが好き?」と、恋人同士が紡ぐ甘い時間の合間に、馬鹿みたいだと思いながらも訊いたことがあった。返ってくる言葉などわかっているのに、もしかしたら違う言葉が、とほんの少しの期待があったのだろうと思う。
「顔だよ。当たり前だろう」
この人は言葉通り、当たり前だろう、それ以外に何かあるのか?と言外の感情を滲ませながら言った。
「だからいつも綺麗でいなきゃ駄目だよ」
そう、悪戯っぽく笑いながら付け足す。
私は曖昧な笑顔を返す。
べつに、自分の中身が立派だとか、ものすごく性格が良いだとか、そんなことを思っているわけではない。むしろ、そんなに誇れる中身ではないことはわかっている。
だけど、そういうことじゃないのだ。
どんな時に嬉しいだとか、悲しいだとか、どういう音楽や映画が好きだとか、どんなことに興味を持って、日々どんな暮らしをしているのだとか、そういうことに興味を持ってほしかっただけだった。
いつも、そうだ。
この人の前の人も、その前の人も、さらに前の人も。
私は「キミの顔が好きだ教」の教祖に呪いでもかけられているのだろうか。
私の恋人になる人たちはみな、私の外見を褒めそやし、そしてあらゆるところへ連れていきたがった。連れていかれた場所にいる人たちに私はまた褒められ、綺麗に見える笑顔を張りつけておくことに腐心しながら、どうか時間よ早く過ぎてくれといつも願っていた。
私はどこにも行きたくなかった。恋人と二人きりでいられれば、それで良かった。
だけど私は私の役割を自覚していたので、黙って私の役割を全うしては、疲れて、その関係を自ら消滅させた。
そしてその次に期待したが、今のところ叶わないまま、似たような時間を、あきらめに近い気持ちで過ごしている。

目の前のこの人の望みは、私がいつも綺麗にして、この人の知り合いの前では笑顔を絶やさず、太ったり肌が荒れたりせず、従順で、美しく在ることだけなのだろう。
その望みに全力でこたえることが、私のアイデンティティになりつつあるのだから、私も十分に病んでいる。
もしも今事故か何かで、私の顔がぐしゃぐしゃに潰れても生きながらえてしまったら、この人はすぐに私を捨てるだろう。そして私を捨てられない私は、それでも生き続けることを選べないかもしれない。
私はどこにあるんだろう。
周りが自覚させた私のアイデンティティは、私を超えて、むくむくと育ち、本当の感情を圧し潰し、大きな樹となって、私の美しさを増大させたのかもしれない。
傲慢な感情ね。
私はこの人に、綺麗に見えるよう笑顔を返しながら、自分に対して言う。
樹は今のところ、枯れない花をつけ続けている。
だけどいつかは散ることも知っている。
私はどこにあるんだろう。
ふっと浮かぶ考えを閉ざすように目を瞑る。
散るころになってようやく、私は見つかるのだろうか。
そのころにはもう、遅いかもしれないけれど。
「今日も綺麗だよ」
この人はきっと優しい。ちゃんと言葉にして、私の努力の成果を、褒めてくれるのだから。
音が鳴るようにして、新たな花が私の背後で咲く。
私はどこにあるんだろう。
見つけてくれる人は、たぶんどこにも、いないのだ。

END.

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