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日本人にとって永遠の呪縛「英語」に、ついに本気で向き合う

 今の時代、作詞家にも英語は必要だ。日本語が大好きだから日本の作詞をやっているわけだけど、英語ができた方が作詞の幅は広がる。とはいえ最近の日本の音楽は二極化している。ボカロP出身の作家・アーティストたちがつくる楽曲は、英語をほとんど入れないのでライン・ミュージックやSpotifyのランキングを追っている限りでは「作詞に英語って必要?」と思う方も多いかもしれない。でもジャニーズ楽曲や帰国子女とか日本以外にルーツがある歌手の楽曲は、英語満載だ。海外進出を意識して、あえて英語で歌うなんて場合も増えている。だから英語が使えた方が、作詞家としては有利だと思う。

 幸いにも、私は英語ができる方だ。アメリカの大学を卒業し、アメリカで働き生活している。アメリカにいながら日本の作詞家になりたいなんて、最初の頃は不利なことしかなかった。でも途中から、英語ができるって重宝されることを知った。おかげで英語の歌詞を担当させていただいたこともある。英語に感謝することは多々ある。それにしても、アメリカに住んでいるからって英語が話せるようになるわけではない。何でもネットで済ませられる時代、しゃべらなくったって生活はできる。

 私はオンラインで日本語を教えているのだけれど、言語習得には4ジャンルを学ぶ必要がある。読む、書く、聞く、話す。この4つができれば、その言語を習得したと言えると思う。私は英語を読む、書く、聞くことはわりとできる(と思う。)問題は「話す」なんだ・・・もちろん、アメリカ生活も長いので、いろんな場面で「伝える」ことはうまくなる。だから生活には困らない。伝わらない単語、聞き返された単語は、すかさず類語を言うか、最後はスペルを言えばわかってもらえるから。変に伝えるのが上手くなると、話すのは本当に上達しないなと・・・ときどき嫌になる。

 そもそも、話すのが嫌になった原因の一つが「作詞」だ。作詞も一応音楽なので、楽器をやっている人ほどにはならないけど、始めたころより断然耳が良くなる。ときどき自分で実感するけど、細かい音が聞き分けられるようになった。そうなると不思議なもので、英語のリスニング能力も上がったような気がする。ただ、耳はよくなっても、私の舌や口は英語の動きにまったくついていっていない。つまり発音がよくないのだ。自分がしゃべっていると、自分のよくない発音が耳障りで本当に嫌になってくる。それでますます「自分は英語が下手だ」のループにハマるわけ。

 本当に、「英語」って日本人にとっての呪縛だと思う。いったい何年前から「日本人は英語ができない」って言ってるの。あれだけ英語教育に力を入れているのに、いったい日本人はいつ英語が上手くなるの。個人的には、英語教育するまえに、日本語教育をしっかりして、読解力がある日本人を育てて欲しいと思いますがね。

 多少ではあるけれど、外国人に日本語を教えてみて思ったのは、日本語って死ぬほど難しい。英語より難しいはずなんだけど、どうして日本人は英語が苦手なんだろうか。これも個人的な意見だけど、日本生まれ日本育ちの人は、「言語とはこうあるべきもの」という意識が強すぎるんだと思う。少なくとも私が見てきた日本語学習者は「英語ではこうだけど、日本語ではこうなんだね。違う言語だし、文化も違うし、おもしろいね。」というスタンスで日本語を捉える。特にヨーロッパに住んでいる人たちは、常に他の言語がすぐそばにあるから「言語が違えばこういうもの」とすぐ納得する。日本人は「is = ~です」みたいに、自分が持っている日本語の枠・テンプレートに、英語をはめないと納得できない人が多いんじゃないかな。だとすれば、英語と日本語なんて、180度違うような言語・・・習得するのは難しいわけで。

 話を自分のことに戻そう。私は「話す」のが苦手。発音が悪い。だとしたら、もう何が原因かわかっているのなら、それに取り組むか放置するか、選択肢は2つに1つだ。ということで、長年放置していた問題に、ついに取り組むことになった。(宣伝しているわけではないけれど)発音矯正アプリELSAをダウンロードし、有料会員になって毎日20分くらいづつ練習している。ちょうど1か月くらいたったころで、わりと楽しく続けている。スマホ1つでできる手軽さが良いのだと思う。ただしこれは続けなければ結果は出ない。こういう風にどこかに宣言しておいて、自分を追い詰め、やるようにしむけるのが常套手段。

 この年になって、英語もある程度はできるのに、「いまさら」感は否めない。ただ、人間何歳からでも何でもやっていい。残りの人生、今日が一番”若い”のだろう?若いうちにやっておけって、昔の人も言ってたなあ。


#作詞 #作詞家 #英語  

 


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