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13回忌の手紙 21歳になった私より

死別当時9歳の私→享年57歳の父

  やっほ、来月は13回忌で京都に行くよ。今は旅行があんまりできなくなっちゃってて、京都に行ける理由を作ってくれてありがとう。  気づけばそろそろ大学を卒業する歳になりました。9歳の私から何も思いつかないね。段々と顔も何が好きだったか、声も思い出せなくなってしまいました。大人になっていく歳です。父親がいないこと、あまり特別だとか可哀想だとかは全然思ったことないしそれが当たり前だったけどふと気がついたときにこれってそういうことなのかなと感じることがあります。社会人になるから相談したいこともたくさんあった。一言くらい何か投げかけて欲しい。親(母)は正直好きじゃないです。なんであんな人と結婚したのかわからないです。ご飯はまずいし、掃除はできないし、最近は物事の判別がつかなくなってすぐに怒るし、よくわからない宗教にハマり出して政治だのなんなの言い始めています。この世の中の普通を上げる選択肢に、家族、友達、彼氏彼女、学校や仕事先の仲間って出てくると思うけど私にとって家族の形がわかりません。気づけばほとんどを親と二人暮らしで生きてきて、世界で唯一一番嫌いな人と生活をしています。二十歳をちょっと過ぎた後、家を出ようとして頑張り過ぎた結果、精神疾患も心疾患も同時に出てきて1週間記憶を飛ばして気づけば警察に3回も保護されてたんだってさ。よくわからない檻の中に入れられたの覚えてる。本当の生活を知ったのはそれから。20年も生きてから、毎日お風呂に入ること、台所は毎日掃除して綺麗なこと、3食親が作ってくれること、朝起きる時何も体は重くなくスッキリ目覚めること、普通の人にとっての当たり前を知りました。いつから普通じゃなくなったんだろうね。よく親に言われてたよ普通の子に戻ってって。でも親の言う普通の子って私がまだ物心ついていない頃の話をしていてそれを平気で21の娘に通用すると思ってんの。意味わかんないよね。この前成人式の後撮りをした時に、私が全く笑わないからカメラマンの人に「この子、しまじろうが本当に大好きなんです。しまのぬいぐるみ持ってきてください」って言った時は、どれだけこの人は私のこと子供のまんまだと思ってんのかと本当に呆れたのさ。ね、こんなの予想してた?父がいない時点でもう普通じゃないこと分かってないし、私はそれを受け入れているはずだと思う。だからこそ永遠噛み合わないし、一生親のこと呪っていくと思う。けど父親に対しては?わかんないよ、死ぬ直前親と毎日喧嘩してたの覚えてる。すっかり精神的にも身体的にも限界だったのにあの人は目の前の何か違うところに対して永遠と怒鳴っていた。あの人はこの時代の負の遺産を全て詰め込んだ化け物なんだって最近わかった。もしあんな人じゃなかったらパパはまだ生きていたと思うし、あそこで死ぬはずじゃなかった。親がパパを殺したと思う。私はこれからもずっとそう呪って生きていくと思う。でもね、最近思ったんだ、そうせざる負えない誰も手が届かないとこまで親を追い詰めた社会だって責任とか問題はあるんだと思う。それが何かはわからない、でもなんとなく社会のせいにして仕舞えば私がこれから何をやるべきかのヒントがあるはずなんだろうなってちょっと思うよ。私ね、スーパーヒーローになりたいんだ。  どれだけ生きるのがしんどくても私の音楽で歌で生き延びろ、って。救いたい。親からの毎日の暴言は確実に音楽でなんとか生き延びてたから。それをね作り続けたいの。できるかな、本当はね音楽で生きてくって決めてなかったらパパと同じ鉄道会社で企画かデザイナーか総合職になって働きたかったけど、それを蹴って今は呑気に音楽を作ってるよ。明日もレコーディング。パパが音楽好きなの知らなかったし、学生時代バンドをしてることも知らなかったよ?あ、言うの忘れてたけど、パパの部屋を私の部屋にしてるの。だからパパの残した本とか大量のCDとかをね聴きあさったり読んだりして、どんな人だったのかをね想像してる。それしかもう手がかりがないから。頑張って全部の本を読んで何を言うんだろうなとか、直接相談できないこと自分で頑張ってみるね。ずっと一人だったしこれからも一人だもん。そうだ。でも、たまには力貸してね。この世の最後に見たであろう私の顔、覚えてる?覚えてないか、あの時のパパの瞳一番綺麗だった。忘れないよ。じゃあね、待っててね。パパが作ったリニアモーターカー、乗れるようになったらまた教えるね。開業した時のCMソング私が作るからね!聴いてね!ばいばい。


お久しぶりです。これは  #死んだ父の日展 という今年の父の日(6月19日)にネット上で行われた展示に参加した時の文章です。
https://ddd.sososhiki.jp

卒業制作に追われている毎日で、友達が書いた脚本を読み解くにあたって
どうしても身内の死に向き合わなければいけないところです。

様々な家族の形ってずっと昔からあったはずなのに、
どうして母がいて、父がいて、暖かいご飯と布団が待っている家に帰る幸せが
普通だと植え付けられているのかが不思議でたまらないです。
家族の形を正直私は知りません。親戚も顔も名前もよくわからないし家族がいるのが当たり前だと無邪気にかけてくる言葉に刺されるのも事実です。慣れたけど

幼い頃は自分のいる環境がどう社会と結びついていて、どんな世界線の中に巻き込まれているのかなんて何一つわからなかったからこそ、普通が自分の家族の形だった。それがどんなに歪な形をしていても気づくはずがなかったから。

死別当時9歳だった私が、13年の時を経て今では大学4年生の22歳になりました。(11月現在)自分の家族の形を形成していたもの、あらゆる社会問題や時代の流れ、その渦の中に巻き込まれていたこと、一つ一つ冷静に見られるようになるくらいには大人になったらしいです。

それでも、誰かを愛することだけはわかりません。本当にそれだけです。
結婚する未来も見えません。彼氏がいないからとかそんな単純な理由じゃなくて、
誰かの一人を人生に割り込んで、私の記憶を刻み込んで、新しい家族の形を作ること、それが申し訳なく思うのと同時に怖いから。猫を飼いたいのに死んでしまうのが怖くて、どうせ別れが来るなら出会わないほうがマシだと思って一生飼えません。寂しさを彼氏で埋めようとするのが見えているから。これからこの先もずっと一人で生きていくのだろうなと思います。


令和になってから昭和のステレオタイプな価値観がどんどん壊されようとなっています。創造と破壊の波がお互いにぶつかり合っていて常にどこかで衝突している悲鳴が聞こえます。苦しいけど、今はひたすらその悲鳴を聞いて進むしかないのだろうなと思います。私が父の歳になる頃には日本がどのような姿になっているのか正直わかりません。それでも、悲鳴と叫びを歌に変えて音楽にのせて残すしか私にはできないのかもね。


話したかったこと、聞きたかったこと

たくさんあるよ

もしも叶うなら、私の歌を聞いてほしかった









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