見出し画像

忘れかけたツインレイを「音楽」で思い出してしまった話。感情に向き合うとは?

ここ最近、ネットの情報を拾いすぎ、
世界の現状を知るまではよかったものの、
ダークな側面にフォーカスしがちになって、
もうどうにもならないような、
焦りのような感情
が湧いてきていました。

そんな中、ずっと好きなアーティストのアルバムが発売し、
その音楽の世界に浸っていたら、
みるみる自分の中の何かが回復していくの感じて。

「わ〜自分が戻ってきた!これだ〜!」と。

7年前、荷物をぱんぱんに詰めた
バックパックとテントを背負い、
兵庫から新潟のFUJI ROCK FESTIVALに
ひとり4泊5日で乗り込んだのですが、
当時そのアーティストも出演していたことあり、
その時のワクワク感、高揚感をふと思い出しました

好きな海外アーティストを最前列で見れたことも、
苗場を靴擦れするくらい歩き回ったことも、
期間中ほとんど雨で、
最後までじっとりしていたテント泊のことも…
私の中では最高の思い出で。

その頃は一人でライブに出向き、
音に没入するのがとにかく大好きで、
当日の思いつきで新幹線に乗り、
東京や名古屋のライブにも行ったりしていました。
帰りの新幹線に間に合わず、
泊まる場所もなく、
24時間営業のスーパー銭湯をなんとか探し出し、
リクライニングの椅子で寝たという思い出もあります(笑)

後先考えず、
自分の中に湧き上がったものに
忠実に生きてたんだと思います。

でもほんと楽しかった!
今思い出してもどれも鮮やかに覚えていて、
その時のワクワク感が戻ってきます。

この頃のそんな感覚が、
心が震える音楽で舞い戻ってきて、

「大事なことってこういう感覚だった!」

などと感じていました。

ここ最近は、「自分の感覚」より
YouTubeやXなどを見すぎて
「外の情報」ばかりに意識が
向いていたんだと気づかされました。

そんなことを感じている最中、
ヒューマンビートボクサーの
SHOW-GOさんを知りました。

YouTubeのホームに
ツインレイ(と感じていた方)に
目鼻立ちがそっくりな男性が現れまして

それがSHOW-GOさんでした。

ツインレイ関連のシンクロは
謎に起こり続けていますが、
「自分事」としては何の変化もなく、
ほとんど意識しないようになり、
彼を思い出すことも減り、

「このまま自然に思い出さなくなっていくよね。よかった。」

なんて、すっきりした気持ちでいたんですが。

ですがまた彼と似た人を見てしまうことで、
執着が湧いてしまうんではないかと
一瞬見ることをためらいました。

が、サムネの美しさにも惹かれ、
つい再生してしまい…。

…そしたらもう秒で心を鷲掴みされてました(笑)

ツインに似てるとかが吹っ飛ぶくらい、
ミュージシャンとして音や声、
世界観、ファッション、
何から何までめちゃくちゃ美しく、
かっこよく、惹き込まれる…
(語彙力ゼロで泣ける…)

(以前にもYouTubeでツインに
そっくりの方のが現れたことがあり、
同じ理由で見るのを避けたんですが、
実はそれもSHOW-GOさんだったと
過去動画を見ていく中で気づき…。
あぁ後悔…。)

前述したような
自分の琴線に触れるものに
遭遇した時に感じる、
自分が回復していくような感覚が
どんどん湧き上がってきて

動画を数本を見た時点で
すっかりファンになっていました。

とはいえ、やっぱり見ていると
ツインを思い出してしまいそうになり、
目を背けたいような気持ちにもなりましたが、
動画が魅力的過ぎて、
そこから過去作品を見て回っていました。

そんな中、Otonashiという曲に行き当たり。

ずっと遠い 記憶を探しに来たよ 懐かしいでしょ
どれくらいの言葉で 伝えられるだろう 自信なんてないけど
最後とわかっているだけでも 幸せなのかもね
あと少しだけ あなたがその形 保てますように
消えてく世界に 残される独り
また会えるときを待って それを待っている

聴いていると歌詞のせいか、
どんどん彼が思い出されて胸が痛み…。

「そういえば彼のこと、何故か無性に懐かしいと思ったな。」
「いままであんな感覚を感じたのは彼だけだったな。」
「いかんいかん…エモくなってるんじゃないよ!」
「にしてもほんと、素晴らしいな…。」

などと一人謎の葛藤を繰り広げていました。

SHOW-GOさんは「抄語」という名義でも
音楽活動をされていて、
そちらの曲も大好きになったのですが、
最新作や他の曲を聴いたことを引き金に、
ツインへの感情をはっきり思い出してしまいます。

あまりに胸が痛くなり、
「見るのが辛いな…」と思うくらいで。

「ツインのこととかもうどうでもよくなった。」

と思っていましたが、
彼の面影をもつSHOW-GOさんを見て、
そして曲を聴いていろんなことを感じたことで、
全然そんなことない自分に気付いてしまいました。

「あれ、自分の気持ちに蓋をしてたんだな。」と。

「ほら、認めなさい。」
と言わんばかりに感情が揺さぶられ、
向き合わざる得ない状態となり。

「あぁ、ほんと好きだったんだな。今でも変わってないんだな。」と。


そして以前noteに書いたことがふと思い出されました ☟

◍ いつでも必要なことは「今」起こっている ◍

今回のことで思ったのは、
「アンドロメダの物語に偶然辿り着き、読むことで泣いた」ことも、
「なんとなく見たジャンヌダルクの映画で泣いたこと」も、
そのときに必要だから起こった出来事だったんじゃないかと。

必要なことは必要なタイミングでいつでも起こっているんではないかなと。

それが偶然目にした物語や映画でなくても、現実で起こる様々な感情を揺さぶる出来事すべてが、気づきや癒しの為に必要があって起きているような気がしました。

「その感情を感じるために、目の前の現実は起こっている」

これらの感情に気付いてほしくて
いろんなことが起こっているのに、
「ただの執着だ」なんだと理由をつけて、
感じることから逃げていたんじゃないか
と、思いました。

結ばれようが、なかろうが、
会えようが、なかろうが、
ツインであろうが、なかろうが、

この「ヒリヒリ」を味わうために、
「彼」や「SHOW-GOさんの音楽」を
現実に登場させたのは自分だ。

という視点に立ったら、
「遠慮なく受け止めて味わってやろう」
というような感覚に少しなれて。

感情を浮き上がらせるために
出会ったのであれば、
「今の現状を変える為に向き合う」とか、
そういうことではなく、
ただ、辛い、悲しい、苦しい、
逆に嬉しい、幸せ、大好き、
も、湧き上がってくるままに
感じればいいだけじゃないか。
と思いました。

そんなことを思っていたら、

YouTubeに何年か前に聴いていた、
レシキさんの「ギガアイシテル」
という曲が久々に現れて。

キミのその落書きも いつか誰かの宝物
消さないで 離さないで 残しておいて その想いを

この歌詞を聴いた時に
涙が勝手にボロボロとこぼれていたのでした。

その瞬間、感じるままに、溢れるままに、涙が流れ…。

「相手を愛おしく思う気持ちが今ある。」
それ以上、それ以下もない、
その自然に湧いてきた「思い」を
ただ感じて味わって、大切にしていこうと。

「あれ、それだけでいいのかも。」

私の中の何かが、
少し吹っ切れたような気がしました。

彼に対して、
「どこかで幸せにしてくれていたらうれしいな」
というような、推しを愛しく思うような
そんな軽い感覚になれたのでした。


長くなってしまいましたが、

ミュージシャンやアーティストの
生み出す世界観に共鳴することで、
内側が満たされる感覚を久々に体感し、
自分や周囲が混乱しているときこそ、
自分が「好き」と感じるものに触れて
「自分の内側を満たす」ことの大切さを
思い出すことができました。

そして、音楽や映画、物語などに
触れて感じる「感情・感覚」は、
知らないうちに自分の深い部分に
あるものに気付かせ、
癒してくれているんだなと
改めて感じたのでした。

素晴らしい音楽や作品との出会いに感謝し、
これからもこの世界を今この瞬間、
自分の感じるままに、ただ味わって
楽しんでいこうと思ったのでした。

とりとめのない文章、
最後までお読みくださり
ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?