見出し画像

ポッドキャスト:「いぬのせなか座」関連文献の読書会——①「無断と土」②「生にとって言語表現とはなにか」の、補足

河野咲子およびイトウモの個人的な関心に基づき、「いぬのせなか座」の比較的最近の関連文献である①「無断と土」②「生にとって言語表現とはなにか」の読書会を(著者のお二方には特に断りのない状態で)実施し、その音声をポッドキャストとしてアップロードしました。

本記事では補足資料とともに、簡単にポッドキャストの内容を紹介します。

「無断と土」を読む:「いぬのせなか座」関連文献の読書会①

鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座)「無断と土」の読書会をポッドキャストとして配信しています。「無断と土」は、2021年発刊『異常論文』アンソロジーに収録されたセオリー・フィクション的な中篇小説です。

作品の概要について音声だけでは説明しづらいところもあったため、(読書会内での話題に沿って要素を絞っていますが)便宜的な関係図を作成しました。作品内の複数の要素間の関連同士がゆるやかな相同性をもっていることが雑駁に視覚化されるように思います。これから作品を再読される方は、この図が手元にあると役に立つかもしれません(一度目はフリーハンドで読んだほうがカタルシスがより鮮やかに感じ取れそうです)。

わたし自身の関心と呼応させるかたちで、この作品で試みられていることとアラカワ+ギンズの「天命反転」のアイデアを照らし合わせている箇所があります。ポッドキャスト内で何度か参照している「奈義の龍安寺」(正確には、荒川修作+マドリン・ギンズ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫)の奇怪な作品イメージはこちらで見ることができます。

本編中で「レイアウト」と短縮して呼んでいるのは、下記②のポッドキャストで読んだ『言語表現を酷使する(ための)レイアウト』のことです。

ポッドキャストの目次のようなものは以下の通りです。

『異常論文』と「無断と土」/和歌→アナグラム詩→ルビ詩/詩歌を読む経験とVRゲームのアナロジー/『PS』→VRパート→『WPS』/作品のないステイトメント、作品のない作品評/「無断と土」に含まれるリテラリズム/理論として読むのか、実践として読むのか/アラカワ+ギンズ《奈義の龍安寺》との相同性:懐かしさを再構築する/異質な知覚が降り立つことで起きること:天命反転か、コタール症候群か/万世一系とこのわたしのずれ/死なない身体のホラー:鋼の錬金術師/キメラになった女の子、高級住宅街の怖い犬/猫を猫としてそのまま書くこと/円筒・螺旋状のVR空間/残響のなかをふたたび訪れる/ハリー・ポッターの悪役の名前/ヘレン・ケラーの知覚を考える/知覚の統合=再上演/近代的主体のからだにそなわる《喩》/シットジョブとブルシットジョブ、ポストフォーディズムの身体/奈義町現代美術館への旅路…

「生にとって言語表現とはなにか」を読む:「いぬのせなか座」関連文献の読書会②

山本浩貴(いぬのせなか座)「生にとって言語表現とはなにか」の読書会をポッドキャストとして配信しています。

正確なタイトルは『言語表現を酷使する(ための)レイアウト――或るワークショップの記録 第0部 生にとって言語表現とはなにか』であり、上記の商品の説明欄にあるように、いずれ単著の序章﹅﹅となる「言語表現を酷使する(ための)レイアウト――或るワークショップの記録」のうち、第0部の草稿のみを抜粋して販売しているものです。

もともと読書会を催すことになったのは、比較的最近この冊子が販売され始めたばかりであることを受けてのことでした。読書会を実施した後になって、「無断と土」についても同様に時間を設けたいということになり、あとから①を収録したという運びになります(順番を入れ替えたのは、とりもなおさず「無断と土」のほうが読解あるいはパラノイア的な「答え合わせ」の歓びを喚起しやすい性質を持つからとか、ポッドキャストの既存リスナーの多くがSF読者であるため導入しやすいといった外的要因によります)。

「生にとって言語表現とはなにか」は、(パフォーマティブな性質があるとはいえ)明瞭に論旨のつなげられたテキストなので、読書会はただ内在的に読むというよりも、論が前提としている(とわたしたちがテキストから受け取った)パラダイムや具体例などを確認していき、そのあいまに個人的な関心にもふれていく、というような様子になっています。

ポッドキャストの目次のようなものは以下の通りです。

自己紹介/「いぬのせなか座」を知り初めしころ/ロカストの活動:旅行-記という形式・経験/「批評再生塾」と実作者たち(岡田利規、黒沢清、保坂和志)/文学史をわたしのために利用する(必ずしも前衛しない)/ホエールウォッチングとリテラリズム/テクストの奥・表層・手前/テクストではなく映像の批評を経由する/プロット以外のカタルシスを考える:時間や光の感動、スポーツ的な身体の感動/モチーフそれ自体を書く/寓意がもたらすカフカの誤読/天ぷらの衣と中身…/ポストフォーディズムと「手前のリテラリズム」の結託/媒体・経済・共同性、媒体・表現・メディアの混合/「無断と土」のプレテクスト:それはSFなのか、あるいは/メディアをかけあわせることの美学/伝達の障害としてのメディア/私的論争:スタイルと政治は切り離せるか/方法の自閉性とレーモン・ルーセル的なもの/素朴な歌詞と複雑な音楽


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?