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MIMMIのサーガあるいは年代記 ー14ー

            甲午(きのえうま)弥生 ―桃子の野戦場の二―

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 どよめきが沸きたちました。
「桃ちゃん、あんなに可愛かったのに……かわいそうに」と口にして、桃子が幼少ときに夏祭りに参加した様子などを周りの人に大声で説明しているのは、地元の年輩女性のようです。彼女は、ヒョウ柄の服にシャネルのバッグをさげていて、いやよく喋ること喋ること。

 報道陣ブースからストロボが盛んにたかれ、群集が桃子に押し寄せようとするのを警備員が体を張って制止している間を彼女はうつむいたまま早足に通り抜けました。彼女を先導するのはお爺さんの事業部筆頭秘書の天野です。黒縁の眼鏡をかけて今にも泣き出しそうな表情が常に張り付いている貧素な彼は、この記者会見の司会者としてうってつけです。彼がお爺さんの投資ファンドなどの財務関係を一手に引き受け、また凄腕のトレーダーであるとは誰も考えつかないでしょう。どう見ても冴えない、しかし生真面目な小役人にしか見えません。

 体育館は窓が開け放たれて寒気が吹き込んでいますが、プロレス興行のように熱気が充ちています。桃子が記者会見する席は、長テーブルに白布を覆ってマイクだけが置かれたわびしいもので、記者席も50脚ばかりの折りたたみパイプ椅子が並べられていますが、空席が目立ちます。 その後ろは立ち見席ですが、桃子ファンクラブや密かに動員された地元民で埋まっています。館内の熱気は彼らから湧き上がっているのです。開け放たれた窓には、さきほど桃子が入館するのを待ち構えていた群集が身を乗り出して覗き込んでいます。

「お忙しいところを遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。今日は世間を何かと騒がし皆さまにご迷惑をかけております桃子の祖父のフィクサー等疑惑と蛸薬師小路たこやくしこうじ桃子本人が発言したとされる不穏な内容について、本人がたって釈明したいとの強い希望からこの席を設けさせていただきました。また地元住民の方々にも何かとご迷惑をおかけしていますので記者会見と併せて地元説明会を開催します。まず蛸薬師小路桃子本人が発言し、それから質問を受けます。質問のある方は挙手をお願いしますので、指名された質問者は一人づつ的確にお願いします。普通の記者会見と同様です。なお、質問は一人につき何問でもかまいません。時間制限も設けませんが、この体育館の閉館時間までには終えたいと思います。この点はご了承ください。住民の方はまたの機会もあるかと存じますので、質問は記者席の方のみに限らせていただきます。進行と指名は、この天野がさせていただきます。こちらが蛸薬師小路桃子です」記者会見慣れしている進行発言でした。

 銀屏風を背に白布掛けテーブルを前に坐っていた桃子は、天野の紹介で面をややあげて、か細い、そしてややかすれた声で、自ら名乗ります。
記者会見を立ち見席で眺めていた地元民から、大きなどよめきが沸き、すぐに続いて「あれは桃子さんじゃない!」とか「おかわいそうに」などという様々な大声があがり、記者会見は冒頭から混乱してしまいました。
「蛸薬師小路桃子に間違いありません」と、本人の宣言にも拘わらず容易に騒ぎは収まりそうになく、司会進行の天野もあえてこの騒ぎを鎮めようとするそぶりが微塵もありませんでした。

 地元住民を驚かせた原因は、桃子の外貌です。
面を上げた彼女は、両眼は赤く充血し、頬は痩せ落ち頬骨と顎骨が突き出ていました。髪の毛は以前と同様長く丁寧にくしけずられていましたが、髪質がとても硬く、荒れていたのです。それはあたかも脱色と染色を一日に何度もおこなったような髪でした。広い額には三筋の皺が、唇は青ざめ乾燥して荒れ果てていました。また趣味のよかった服装も、近くのスーパーの衣料品特売コーナーで揃えた1,980円や2,980円均一セールのようなものばかりを身につけていました。それもずいぶん着古しているようで、薄いカーディガンは肱の部分はこすれて薄くなっています。
 つまり地元民が昔から見知っている桃子でも、桃子ファンクラブが思い描いていた桃子でもなかったのです。

「わたしは捨て子です」
 桃子はうつむき加減に、か細いがよくとおる声ではっきりと言いました。今度は記者席からどよめきがおこり、編集長の意向でしかたなく出席していた多くの記者も急に興味を覚えて顔を上げます。
「わたしは実の両親の名前も知らない捨て子でした。大和川の河川敷に捨てられ死にかけていた乳児だったそうです」絞り出すように桃子は語ります。
「大雨の日にお婆さまに拾われたそうです。ですから、お婆さまとお爺さまとは血はつながっていません。そんな捨て子の桃子をお二人はここまで何不自由なく育ててくれました。見ず知らずの赤ん坊を、ここまで立派に育ててくださいました。そんなお二人には感謝しかありません。お二人が桃子を愛してくださるようにわたしもお二人を愛しています」
 立ち見席では、「かわいそうな桃子ちゃん」「桃子は捨て子だったのか、なんてことだ」とか「お爺さんの優しいこと」などと私語がこれよがしに交わされていますが、天野もたしなめようとしません。桃子もこんな私語を聞き流しながら会見を続けます。

「わたしの大切なお二人が最近、マスコミなどで悪く言われています。お爺さまは政財界の黒幕とかフィクサー、悪の根源などと報じられているのはよく知っています。この報道にお爺さまは、打ちひしがれて締め切った暗い部屋に籠もったまま痩せ衰えていくばかりです」
「その、お爺さんとやらの最近の様子はどうなんですか」最前列の記者が聞こうとしましたが、問い終えるまでに司会進行の天野が、「質問の時間は十分すぎるほどあとに設けています。まずは話を聴いてからにしてください」と、素速く質問をカットしていましました。
 貧素な小役人のようにしか見えない彼ですが、有無を言わせない威圧の片鱗を見せるところなどは、やはりお爺さんが見込んだだけのことはありました。

「みなさまにひろまっている報道には、事実とズレた点や異なる点などが多くありますので、改めていただければ望外の幸せです。このような趣旨で、このような席を設け大勢の方に集まっていただきました。ありがとうございます」
 桃子が訥々と語るごとに、地元の鼻毛が伸びたオッちゃんたちが言い交わします。
「ええ話やな」
「今どき珍しい孝行娘やで」
「こんなかわいそうなお嬢ちゃんを苛めるやつは許せんな」
「そやな孝子烈女やな」
「かわいそうな娘さんやな」
「捨て子から立派に育ったんやな。ワシの娘なんか捨て子でもないのにグレてるわ。ケッ」
「桃子はんの爪の垢ウチの息子の嫁に煎じて飲ませたいわ」
「ワシの孫の嫁に欲しいわ」
「お前の孫は何歳や」
「三歳や」
「ほんまや、ほんま。桃子ちゃん応援してるで!」
 ただし、最後の大声のかけ声は、玄関先で桃子の夏祭りの挿話を語ったヒョウ柄の服に、シャネルのバッグをさげたおばちゃんです。

 桃子が銀屏風を背景に猫背気味に、時折涙を拭いながらかすれ声で訥々とつとつと語る様子は、恋人に振られたアイドル歌手が自殺未遂ののち開く記者会見にそっくりでした。

「お爺さまの事業のことを詳しく知っていただくために、経歴と現在の活動を詳しく説明します。わたしの話を最後まで聴いていただければ、報道されている内容が誤りであると分かるでしょう。
「お爺さまが一代で世界的IT企業を興し、早期引退したのは皆様もご存じですね。引退後、B&B&A財団を立ち上げて世界の貧困に苦しむ人たちを助ける慈善事業を始めたのもご存じですよね。これには莫大な費用がかかります。それで破産しそうになったこともあります。彼は慈善事業を運営するために再び事業を再開しました。ささやかなIT関連の投資ファンドを始めたのと、さる外国企業の日本支店長を兼ねています。あの大きく立派に見える邸宅も、その外国企業のもので、あたしたちはそこで家賃を払って住んでいるのです。あと大勢の従業員がいますが、あれは外国企業の従業員たちです。少しは財団の人間もいますが……」

 このあと、体育館の三壁面に掲げられた大画面液晶に、B&B&A財団が海外で貧困に苦しむ人たちを援護する活動が映し出されました。アフリカの赤茶けた大地や中東の砂漠の難民キャンプで食料を配り、井戸を掘り、子供たちに初等教育を廃屋で行う様子が映し出されました。お爺さんも率先して現地で援護活動をしています。桃子本人も痩せ衰えた難民の孤児に水のボトルを配り、寄り添い、何事か会話をしている場面が映っていました。
「やらせの白々しいプロモーションビデオか。退屈だね」と、言ってわざとらしくあくびをする記者もいます。

 もちろんこんな嫌みは桃子の耳にも届いています。
「財団が主に活動する国は、破綻国家や内戦国家といわれる国々で、国家の統治も不十分で国内は軍閥というか部族の私兵が常に戦闘をしている国々なのです。すべてがNGO活動に敵対するか援助物資を強奪しようとしている地域です。ですから援助物資を100を送ったところで最終末端の難民に届くのはほんの一割余りのこともあります。もちろん地域の軍閥に賄賂を送り安全をお金で買って、護衛も付けるのですが、護衛自体が援助物資の掠奪をするのです。これが破綻国家内の現実です。有名なNGOの多くはこの最悪な治安に懲りて撤退するところもあります。多くのボランティアが殺害されているのですから、彼らを批難することはできません。

「しかし、生命の危険も顧みず底の抜けたバケツにミルクを注ぐような効率が悪い事業ですが、B&B&A財団は決して撤退することはないそうです。
「お爺さまとお婆さま、そしてわたしもアフリカのある破綻国家から逃れてきた難民キャンプになんども行きました。こんな画像を見ても、わたしの体験を聞いても、インフラが整い、生命への不当な危険も少なく、不十分であっても国家の保護がある先進国の人間には、絶対に分からないでしょう。この席におられる99%以上の人が理解できないでしょう。

「こうしているあいだににも、井戸もなく近くの湖まで水を汲みに行くだけで半日かかり、食べ物もまともにない人たちが何十万人もいるのです。住むにもまともなテントもありません。ときには他部族の私兵がキャンプに掠奪に来ます。レイプもあります。これが世界の一隅での現実のなのです。けれども、お爺さまとお婆さまの財団は、決してくじけず活動していきます」

 ここで一旦彼女は息を継ぎ、「わたしも力はないですが、できるだけ協力しています。皆さまも財団に少しばかりの寄付をしてください。あの餓死寸前の人たちに一握りの米を、一切れのパンを分け与えてください」と、嗚咽するように懇願した。

「立派な話やな。桃子ちゃんのようなことはなかなかできるようなもんやない。それも外国でや」
「そや、そや。そのとおりや。ワシは99%の残り1%の人間やからよく分かる」
 ヒョウ柄のオバチャンは何も言わず、盛大な泣き声をあげました。ハンカチをあてているのですが、涙を拭くのではなく鼻をかんでいるように見えるのは錯覚でしょうか。

 さきほど、わざとらいい大きなあくびをして嫌みを言った記者は、
「本当にアフリカの奥地まで行ったのかな?」と隣の席の同僚に言っています。これを桃子は聞きとがめました。
「行きましたよ。疑うなら、現地まで行って現地の軍閥のトップや難民に確認されたらどうですか。大勢の記者と莫大な取材費が使える貴社のことですから、汽車でも編成されて大取材団でも送り込まれたらいいんじゃないですか」
「そやそや、そのとおりや」「桃子ちゃんのいうとおりや」「ワシはそんな所へはよう行かんわ、命がない」などと地元住民が言い交わします。

「それはそれとして本題に戻しますが、フィクサーである事実は、政界や官界の大物が頻繁に、しかもこっそりと訪れているじゃないですか。特に政界や特定企業でゴタゴタがあるときに集中していますよね。それはどう説明するの?」白髪を乱した年配の女性記者が不規則質問をしましたが、司会進行の天野は遮りません。むしろこの質問を待っていて、会見冒頭にこの指摘を否定したかったからです。

 桃子は間髪を容れず答えます。
「有名な方が密かにいらっしゃいます。それを否定しません。その方たちはお爺さまの昔からの、そうIT企業時代からの知り合いでいろいろ相談に来られるのです。……あと言いにくいのですが……お金を、それも大きな額のお金を借りにこられる方が多いと聞いています。銀行もなかなか貸さないお金を泣きつきに来られるそうです。その方たちはお爺さまが昔どおりに巨額の資産を持っていると信じ込んでいるのですから、お爺さまが事業を再開せざるを得なかったのももっともです。律儀に返済に来られる方もいらっしゃいますが、そうでない方も大勢おられるそうです」

  この桃子の弁明はのちのち、予想外の場所、つまり黒幕界とその利用者の間で大きな波紋となり,新たなトラブルの原因となってしまうことは桃子にも、彼女を支えるスタッフたちにも予想できませんでした。
 つまり、お爺さんを利用した、又はお爺さんが利用した政・財・官界と一部の学会の人たちに、お爺さんからの脅迫の暗示と受けとったのです。
「恩知らずの連中が、急に知らんふりしやがって」とか「お前らの急所はしっかり握っているから、その気になったら洗いざらい暴露するぞ」というふうに受け取ったのです。
 こういう人たちは国内だけでなく海外の要人、有力者も含まれていました。

  記者会見の途中ではありますが(つづく)