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ヒトという生物の美しさを思う

昨日は最近ご縁をいただいた助産院さんでの施術でした。

産後4日目のお母さんと赤ちゃんのお部屋で、
お話をしながら。

自分のちからで産みだす、という体験が
ご自身のルーツに合っているような気がして
助産院を選択されたとのこと。

「源」に引き寄せられる感性、そして本能。

産む前からお母さんの力を発揮してされているなと、その力強さに尊敬が止みません。

女性の美しさって
人間の美しさってどんなときに感じますか?

NPOのほうでやっている取り組みに
こんな活動があります。

ざっくり言うと

「お母さんが肩の荷を下ろして、ここだけは本音を話せる場所」

という場づくりをしています。

そこでは
不安に感じていたこと
傷ついたこと
周りと同じではないことに悩んでいたこと

などなど、、

普段は平然を装いつつ「大丈夫ですよ」と
いう顔でこなす育児や家事、仕事の
ほんのひと時の隙間に

こぼれる「きもち」

言葉にするつもりはなかったけど、
思わず溢れるもの、、、

そんな日も
「ゆるされていいよね」

「その、きもち はまちがってない」

「たとえ一瞬、頭をよぎったこと」

ぜんぶ、
この場だけのことだから

話していい。
放していい。

私も、私自身の口から出た言葉に、
思わず傷付くことがあります。

感情的に出てしまうこと、
不安からくるもの、悲しみを隠して怒ったり
投げ出したり。

でも、そのあとって
「痛い」んですよね。

言ってしまったことを、自分が消化できない。
落ち込むループです。

そんな経験から、
もういっそ

「そんなあれこれも
引っくるめて受け入れよう」

「この場だけは、罪悪感や
周りの目を気にしない」

いま、この時だけは
自分だけを大切にしよう。

そんな気持ちで、安心できる場所をつくりたいと思ったことから始めました。

そこで出会う、「涙」

その背景は悩みや苦しみがあり、
その渦中なのかもしれない。

でも、ただただ
その存り様が
美しいと感じています。

一生懸命に生きているからこそ
自分含め、だれかを想うからこそ

「ちゃんと、したい」
「幸せになってほしい」

そんな葛藤が生まれるわけですよね。

上からでも下からでも全くなく、
そんなふうに「人間」らしく涙したり
笑ったり、少しの勇気を補いながら

明日も気が付けば、
1日を始めている。

生まれたばかりの生命に触れると
なにもかもが尊く、美しい

でもそれは、時が経っても変わらないのかもしれないと 改めて感じたのでした。

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