医療的ケア児


職場だった病院で大きな車椅子に乗った、重い病気や障害をもった子どもを連れているお母さんに会うと、大変だな・・・と思う。子どもの介護に追われる毎日だと思う。

でも、そういうお母さんも、ちょっと前までは私と同じ生活を送っていた。学生時代を送って、就職して、仕事して、キャリアを積んでいたかもしれない。そして、結婚して、妊娠した。

赤ちゃんがお腹に宿った瞬間、家族や友だちからおめでとう、と言われ、幸せな気持ちになって、そして想像した。この子の人生、自分の人生。家族の生活。産休とって。保育園入れるかな。育休はいつまでとろうか。あの仕事、1年離れて大丈夫かな。年後には2人目がほしいな。3人いけるかな。

ほとんどの人が、そんな未来を考えて妊娠期間を送っていた。私も。

いよいよ出産。子どもが生まれた。

そして、生まれたとたんに子どもに障害がある、医療的ケアが必要、と言われる。その瞬間に、それまでしていた心の準備、未来の風景がすべて崩れる。この瞬間から、医療的ケア児、難病児、障がい児の親になる。1ヶ月後のお宮参り、退院後の里帰り、産休、育休、保育園の心配、時短勤務の打ち合わせ。すべてなかったことになる。

あの車椅子を押していたママも、子どもに障害があると知らされる前までは、私と同じ妊婦でプレママだった。子どもと家族の未来を考え、自分の仕事を考え、保育園を考え、キャリアの継続を考えていた。

子どもの介護が必要だったら、仕事を続けたいという気持ちは諦めなければならないの? そんなことはない。ケアが必要な子どもは誰かのもとに必ず生まれる。それが彼女の家だっただけだ。私が仕事を続けるために保育園の数を増やしていってもらえたのと同じように、子どもに障害や病気があるママが仕事を続けられるように、制度を用意すればいいだけだ。私たちと同じように、平等に。保育園、小学校、中学も高校も、放課後を過ごす場所も。

それに、病気や障害のある子どもにも、家族以外の人と関わり、社会のなかで過ごす権利がある。私の息子のように。1歳から友だちと遊んで、保育園の先生に愛され、サッカーのコーチにしかられ、友だちのお母さんやお父さんにお菓子をもらう。親以外に何人の人が彼の育ちに関わっているだろう。病院であったあの子も、たくさんの人と出会って育っていけますように。

いろんな友だちがいるといい。私たちがなにも考えずに学校に入れるように、ただ行きたい、その気持ちだけで好きな学校に行けるといい。できないことがいっぱいある? そうしたら、それをやらなくてもいいようにみんなで考えればいい。私にだって、できないことはある。私にできて、あの子にできないことがあるように、あの子にできて、私にできないこともあるから。

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