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そのひとは、治りたくないようだったけど。

ずいぶん前の話です。
病気に罹った人の付き添いの仕事をしたことがありました。
病院を行き来する時の付き添いではなく、
ある人が入院している間の面倒をみる仕事です。

一日中病室にいましたが、
メインで面倒を看ていた方がいろいろと詳しかったので
仕事自体は大変ではありませんでした。
ただ、しだいに僕は、
入院しているこの人は、これからどうするつもりなのかなあ
と思うようになりました。

リハビリの時間になると、子供のように駄々をこねました。
治ってからやって来る元の生活が、おそらく嫌だったのでしょう。
その人の周りの人は、元の生活を送ってくれるのを望んでいましたし。

入院は長引き、春がまるごと過ぎようとしていました。
僕は毎日、コンビニ食を病室の隅で食べていたのですが、
ある日、病院の食堂に行きました。
コンビニの濃いめの味に慣れた舌には、ほとんど味がしませんでした。
これが病院の「清潔さ」なんだ、と思い、
実は僕自身も一日中、しかもほぼ毎日、
病院内の「清潔な世界」に浸かっていたのだと、思い至りました。


ハルシオン世は春塵に眩しとや   梨鱗


その春、僕が見ずに過ぎて行った物は、
その人が見たくないと拒んだ物でもありました。

初夏が来て、
僕の来院生活も、そろそろ終わりに近づきました。
その人の入院生活は、まだしばらく続きます。
にわか雨の降った日、虹が懸かり、
病室のみなで虹を見ていました。


病める日を愛しそむれど虹二重  梨鱗

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