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ふゆ

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冬の俳句はここです。
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さよなら冬 2024

どこまでもつづく雪野原に立つと 頭の中ではグネグネと言葉をいじり始めます。 あ、詩っぽいの出てきそう? なにもない景色に、ヒトの頭は耐えられないようです。 「どうしてそこに書かれた物を、信じられるんだい? 聖典も。哲学も。恋文だって。 所詮は、空白に耐えられないヤツらの言い訳なんだぜ」 そんなこと、分かっていますけど。 利巧なふりで〝いっさいが虚しい〟の主張に なびいてみます。 かじかむまで雪野に立っていた昔。 なにか生まれる予感は空振りです。 なにかを生みだそうとする

たんぼLOVE「1月」

手袋に、毛糸の帽子 マフラー それから、イヤーマフも。 とても寒がりな僕が外出するときは これらをぜんぶ着けています。 ここまでの重装備、辺りにはちっともいませんが。 人目を気にしない性分です。 だから、すこし寒さのゆるんだ夜なら。 気温の変化を、敏感に感じとります。 大寒という一年でいちばん寒い季節に つぎの季節の、こっそりとした足取りが。 頭上には、はちみつドリンクのような色の お月さま。 堂々と照り輝いて、 三寒四温のころとなりました。 寒さのもどった帰り道なら。

たんぼLOVE「12月」

収穫を終えた稲の切株から、あらたな芽が伸びはじめます。 晩秋に生える穭は、すぐに消えてしまいそうな早緑色です。 それでも今年の穭は、12月になってもそよいでいます。 やはりこの冬は暖冬のようです。 冬の田んぼには農家の方も見えません。 藁塚を作ったあとの余りの稲束と、しまい忘れた案山子。 こんな季節の田んぼを「休め田」と言いますが その名まえのとおり深い休息をしているようです。 とはいえ、ちょっとした、いえ大きな変化もありました。 西の田んぼも東の田んぼも どちらもその敷

【俳句】ティータイム 秋から冬へ

        紅葉                       黄葉               椛 秋の季語ではあるけれど 木々の色づきには遅速があって ソメイヨシノなら9月の初め、 ハナミズキも10月を待たずに紅葉する。 紅葉の足取りは、町中に立つ街路樹より かえって山々の方が遅かったりする。 初冬のこえが聴こえそうになったころ ようやく色づきはじめて、お? 常緑樹の山懐に点々と、明るい差し色。 一日ごとに気温の低くなる季節は 一日ごとに時間の速度が遅くなる。 そ

たんぼLOVE「11月」

11月にもなると 天日に干していた稲はすっかり取り込まれ 稲架の組み木もかたづけられます。 田んぼに残るのは、実を取ったあとの藁ばかり。 一束ごとに藁でくくられた藁束が 刈田にじかに置かれています。 よく晴れた日には、いつもの棟梁さんと 昔のことなら何でも知っていそうなおじいさん達が 畔に腰かけ、藁束を作る仕事をしています。 藁をくくるのも藁だなんて 稲には無駄になるところがないのですね。 ある日曜日。 田んぼの中程に棒が「にょこ」っと立てられます。 5、6メートルはあり

枯野より。

ロシアによるウクライナ侵攻から1年が経ちました。

さよなら冬 2023

こどもの頃は、春がきらいでした。 見事なヒネクレっぷりです。 でも、ほんとうに春になると だるくて、何もやる気が起こらなくて 前に進みたくなくて、人と口を聞きたくなくて 何処にも行きたくなくなるのでした。 いい年をした大人のこじらせ方です。 今は立春がくると、ほっとします。 そんなに寒い土地に住んでいる訳でもないのに もう寒い目にあわなくていいんだあ、なんて理由で うきうきします。 来年にはまた寒い日が来るというのに。 ただのヘタレです。 でも、あっちもこっちも行きたくない

【俳句】鶴

   啼くや朝白煙立つる田鶴の息    梨鱗 「俳句詠みは嘘つきの始まり」と云うそうです。 見たこともない景物を歳時記から拾い、 見てきたかのように詠む。 かく言うわたしも、実物の鶴を見たことはありません。 テレビや動画で見る鶴は、調和のとれた美そのものです。 首もくちばしも脚も、細やかに。 おまけにその脚は複雑な弦楽器から 佳き音を拾うかのように、雪上へ慎重に置かれます。 生き物たちが今こうして在るのは ただ今生を生き残り、子孫を残すためだけに 淘汰をくり返した結果。

【俳句】綿虫

   綿虫やバスの消えゆく夕曇り     梨鱗 綿虫を初めてこの目で見たのは、3年前ほどです。 山の中、たそがれ時のバス停でした。 白い綿のようなものを身体から分泌し それをまとった姿で宙を浮遊する、冬の虫。 からだは小さく、2ミリほどだと。 本で得た知識で想像するその姿は、それまでずっとあやふやでした。 一度見てどんな姿か知ると、 次からは、綿虫を見つけるのがうまくなります。 ああ、今日は前庭に綿虫が飛んでいるな、と知れば こころをはずませ、けれど静

おさんぽ俳句「冬たのし」

役に立つ大人には、なりたくない。 そう願っていた子どもは、それなりに 役に立たない大人になりました。 世間から必要だと呼ばれないのを幸いに 時間はそこそこある暮らしのようです。 でもぜいたくなもので、もっとひまがあればいいのになんて 願ってもいます。 今年も終わりに差しかかりましたが 彼の一年というものは、まいとし霞のように輪郭がなく 雲のように手ざわりがありません。 それでも、今の暮らしにいたるまでの 小さな小さなコップの中での、それなりの嵐を思い返すと このままで

団地ロマン

なぞなぞです。 大きな四角の中に、ちいさな四角が入って それぞれの小さな四角の中に、さらに小さな四角が入って その中では人が恋したり、泥棒したりしています。 なーんだ? 答えは、団地の各お住まいの中のテレビ。 なんて冗談はさておき。 団地のならぶ一帯を散策するのは ちょっとした冒険気分です。 小さな四角に区切られた箱の中に住む人は ドールハウスの住人のようです。 あるいは化粧箱の中で それぞれの仕切りに納まったお菓子のようでもあります。 さながら分厚いビスケットや

四季・あわき色よりならべゆく

    いろ紙の舌にあましや春の夕    梨鱗 小さい頃は、家にばかりいる子でした。 色紙やクレヨンを色順にならべ、ひとり遊ぶのでした。 暗い遊びだ…。 今となっては何がたのしかったのか、わかりません。 こんなふうに、大人になるにつれ忘れてしまった感覚が 僕には沢山あるのでしょう。 掲句は、そんな昔の光景を思い起こしてみました。 それはさておき。 去年より始めた二十四節気を詠む企画が 先週の立夏で一巡しました。 一年続けて変わったことと言えば 散歩に出掛け、自然観察を

さよなら冬。 別れとはなにかを置いていくこと(かも?)

断捨離が趣味でした。 定期的に部屋の大片付けをして、ごっそり物を捨てていました。 ある時気がつきます。 どうせいつか捨てるのなら、初めから買わなけりゃいいじゃん。 今ではずいぶん物のない部屋です。(ミニマリストではありませんが) 泥棒が来たら、がっかりでしょう。 記念品、ありませんし。 写真、ほぼほぼ、ないですし。 本も、ずいぶん減らしました。 高価なお宝。う~ん、皆無。 でも、こういう人間は、自分の過去をどうやって思い出すのでしょうね? 過去に手に入れた物を手に取っ

ミュージアムのほとりにて「闘志いだきて」←?

夏井いつき氏の著書『絶滅季語辞典』に 最も長いとされる季語が紹介されています。その音数は25音。 「童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日」 「聖胎祭」(冬)の傍題で、 イエスの母マリアがその母の胎内に宿った日です。 夏井氏は、これを『新日本大歳時記』(全5巻)の中から発見しました。 調べてみると、確かに5巻目207頁に小さな字で載っています。 う~、知らなかったら見逃していました。 夏井氏は〝当然、例句もある筈はなくボーゼンとするしかない〟 と託ちつつも一句。 童貞聖マリア