マガジンのカバー画像

なつ

40
夏の俳句です。
運営しているクリエイター

記事一覧

さよなら夏 2023

異常が、常態化。 最近よく耳にする不穏な言葉。 この物騒な状態は、もう身近にありました。 もとより紫外線アレルギーがあるので 散歩の時は、夏でも足首まで かくれるパンツをはいています。 ですが先日の散歩では、服の下の太ももから ふくらはぎまで、紅い湿疹が広がっていました。 体質が変化したのか、紫外線が多すぎるのか。 今までのUV対策では太刀打ちできない 夏が来ていました。 え、怖いんですけど? なんて言っちゃいます。 恐怖に打ち勝つには、異常が普通と思うこと。 で、良

【俳句】凌霄花

#1 獣病院の近くに住んでいた。 棕櫚が、その前庭に三本並んでいた。 左の最も丈の低い棕櫚に、凌霄花が巻きついて 真夏には溢れるほどの花と葉が、幹を覆い尽くす。 蔓は、風のない日でも揺れているように見えてならない。 そのうち獣病院から聞こえてくる獣たちの啼き声と 揺れうごく蔓に、何かしらの因果関係があるように思えてきた。 たしかに夕暮れ時など、朱色の厚い花弁だとか 花弁の奥の洞だとかが人ならぬ、しかし 人めいたものの顔に見えなくもなかった。 ある年、棕櫚の新しい葉がその頂き

たんぼLOVE「7月」

田んぼのむこうの空より、威勢のいい声がきこえてきます。 校舎を改築したばかりの、あの高校からでしょう。 梅雨のあい間を縫って、燕も人も、そして稲も前進中です。 「たんぼLOVE」に登場する田んぼは、一つではありません。 家を出て右手に行った田んぼと、左手にすすんだ処の田んぼ。 二つをまぜて書いています。 それぞれ「東のたんぼ」「西のたんぼ」と呼んでいますが それは僕しか知らない名前です。 今年はどういう訳か、なかなか「東の田んぼ」に 水が引かれませんでした。 辺りには、新興

おさんぽ俳句「夏は水辺を」

前回の「たんぼLOVE 6月」では、ずいぶん多くの生きものが 田んぼに集って来ると書きました。 今回は「たんぼLOVE」の番外編という気分で 生きものたちをゆっくり観察してみましょう。 俳句では蝶は春の季語ですが、夏も立派に存在しています。 数メートル先の紋白蝶に気を取られていると、 揚羽蝶の登場です。ちなみに揚羽蝶だと夏の季語。 足元へと目を向けると、おたまじゃくしが泳いでいます。 その中でもちょっと大きいのは、先に孵化した子。 目高も孵化したてなのか、極めて小さな子

たんぼLOVE「6月」

   泥なげて子等に田植の今盛ん   梨鱗   ゴールデンウィークに水を張った田んぼにも 田植の季節がやって来ました。 5月の末あたりから1週間ほどかけて 順々に早苗を植えていきます。 田植え機で苗を植えていくのですが 田んぼの端のあたりは人の手で植えています。 みなさんの顔立ちは似ていないので 農家のご一家という訳ではなさそうです。 稲作に関心のある人たちが集まり 田んぼの持ち主から、ここを借りているようです。 そういえば、 4月に見かけた新米さんらしい人は どうし

たんぼLOVE「5月」

  レバー引き泥きらきらと代掻機     梨鱗 冬のなごりのような寒い日も、4月まで。 5月になれば、さらりとした汗をかく季節です。 そんな変化に合わせるように、 田んぼもにわかに忙しくなりました。 田打ちの後、ずっとほうっておかれた田んぼに とうとう今月、水が引き込まれました。 代掻きの始まりです。 (きたー!) 代掻き機を進めて、水と土を混ぜ合わせます。 じつにのろのろとしたスピードですが、 よく混ぜ合わせることで良い稲が育つのだとか。 代掻き機は、田打ちで活躍した

団地ロマン

なぞなぞです。 大きな四角の中に、ちいさな四角が入って それぞれの小さな四角の中に、さらに小さな四角が入って その中では人が恋したり、泥棒したりしています。 なーんだ? 答えは、団地の各お住まいの中のテレビ。 なんて冗談はさておき。 団地のならぶ一帯を散策するのは ちょっとした冒険気分です。 小さな四角に区切られた箱の中に住む人は ドールハウスの住人のようです。 あるいは化粧箱の中で それぞれの仕切りに納まったお菓子のようでもあります。 さながら分厚いビスケットや

おさんぽ俳句「どようび」

家のちかくに田んぼがあります。 どの季節でも見あきませんが、いちばんの見どころは 夏の青田から秋の黄金田へ移り変わる頃でしょうか。 八月上旬 立秋の候 田んぼは、青田の季節です。 帰宅時刻の夕方、田んぼも空もまだ青く 燕が勢いよく飛び交っています。 それなのに、お盆を過ぎてしまうと おなじ時刻でも、空は薄暮。 燕に入れ替わって、蝙蝠が飛ぶようになります。 昔、この辺りには もっとたくさんの田んぼがあったとか。 こんな光景が、以前はこの町でも見られたかもしれません。

さよなら夏 2022

あまり物事に執着のない人間のようで われながら、呆れます。 喜怒哀楽は、あるにはあるのですが きのうまでそこにあった何かを失って 胸が詰まったり、歩くちからが抜けたり するのですが、 はたしてその感覚が、 どれほど確かなのかと自分に訊いてみると さいごには、あいまい、の一言に行き着きます。 ぼくというやつが、ここにいるということ。 もしかしたら、ぼくが思っている以上に そんな現象に執着はないのかもしれません。 (ここってそもそも、どんな場処なのでしょう) ダウナーですね

王国

               👑 私には風変わりな友人がいます。ある日、彼はこんなことを言いました。 「君にしたっけ、僕がカラスウリの花に捕まえられた話」 「いや」 「信じなくていいけど、これは僕の身の上に本当に起こったことなんだ」 去年の夏。ある山岳地方を旅した時のことだ。 君も知っての通り、僕は目的もなく歩く旅を好む。 その日の朝も、宿を出ると気に入りの道へと向かった。森の入り口には樫の木がある。その朝は、樫の木に白い花がいくつも懸っていた。カラスウリだ。

みんな嫌ひぢや、しやうがない。

ある青年が、書に耽らんと本屋に寄りました。 書棚に架けた梯子の上から、暮れ時の客や店員を見下ろし、呟きます。 「人生は一行のボオドレエルにも若かない」 芥川龍之介『或阿呆の一生』のあまりにも有名な一節です。 青年にとって、芸術は何にも侵されざる領域にある 絶対的な存在だったのでしょう。 日々の糧のために働く人も、知識欲という欲にかられた人も 青年には、いえ龍之介には、小さくみすぼらしいものに思えたのです。 まるで彼だけが、あせくせとした労働や 上昇志向にまみれ

梅雨上る

暦は小暑の候となりましたが、今回のお話は 季節を少し前にもどした辺りからはじまります。   閑かなるパフェの模型や夏至真昼     梨鱗 夏至の日は6月の下旬にあたり、梅雨さなか。 たいていは雨か曇りが多いかと思います。 今年の夏至はよく晴れました。 太陽のちからが最も強い季節、雲の覆いがなければ こんなにも光が降り注ぐのかというほどに、 日傘にも陽の重みをずしりと感じます。 元気なのは、太陽ばかり。 人々は、自然に負けるのは人間の習いとでも いわんばかりにちからなく立

おさんぽ俳句「薔薇ほどに」

梅雨の雨が、なん日もとぎれない日でした。 まだ明るい時間のうちに帰宅です。 例の流行病で、僕の勤め先も時間を短縮していました。 感染症にかかった人や、医療従事者の方には申し訳ないのですが 子供の頃、新学期の一日目などで学校が早く終ると 得した気分になりました。 早く帰っても何もせずボーッとしているのが、僕の贅沢です。 そんな、薄いよろこびが戻ってきます。 小川沿いの道を歩きます。 ジャージ姿で下校中の少年が、立ち止まっていました。 ビニール傘から大粒の雨が落ちるのもかまわ

かの海も まだ見ぬ海も ❖ 晶子忌

今回は、歌人・与謝野晶子についてのちょっとしたエッセイです。 最後までおつきあい下さるとうれしいです。 序・海恋し      海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家                      「恋衣」 与謝野晶子   近代日本を代表する歌人・与謝野晶子。 歌集「恋衣」は、彼女が26歳の時に刊行されました。 22歳で与謝野鉄幹と結婚した彼女ですが、 それは鉄幹の先妻から彼を奪ってなされたこと。 いわば実家も故郷も捨てての駆け落ちでした。 失ったもの