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世界で相次ぐダム決壊は自然災害か人災か?

米国のミシガン州で2つのダムが決壊したというニュースが
AFPにより報道されている。
参照先の記事:米ミシガンでダム2つ決壊 洪水で1万人超避難

2つのダムが一度に決壊したというだけでも十分に恐ろしいが
ダム間に位置するミッドランド氏では1万1千人が避難しており
今のところは死者の報告がないことは本当に不幸中の幸いだ。

詳しい原因などは今後調査されるだろうが原因は豪雨とのこと。
短時間で降り注いだ雨量がダムの許容量を超えたことによる
決壊かどうかはともかく自然災害がキッカケなのは間違いない。

じつは世界各国で一昨年前からダムの決壊が相次いでいる。

コロンビア(アンティオキア)- 2018年5月
タイ(ラオス) - 2018年7月
ブラジル(ブルマジーニョ) - 2019年1月
インド(マハーラシュトラ) - 2019年7月
ロシア(クラスノヤルスク) - 2019年10月

上記のように世界各国および日本のメディアが報じているが
その直接的原因は下流域の河川氾濫によるものや安全管理
の不備による人災、豪雨による急激な増水による自然災害など
さまざまであることが窺い知ることができる。

ここ日本でも昨年2019年10月に襲った台風19号がもたらした
豪雨で発生した堤防の決壊による水害が各地で発生したことは
記憶に新しいことと思う。こちらもダムの許容量を超えたことに
より放水を行ったことで下流の河川で急激な増水による堤防決壊
が発生した。過去に経験のない広域かつ大量の雨水を従来の治水
施設では対処しきれないという声も聞こえてきている。
参照先の記事:堤防・ダム、能力に限界=政府

しかし方や水源連が2020年1月に報じたニュースではダムを優先し
堤防整備を怠ったことによる行政上の人災と断罪している。
千曲川の決壊の原因は河床に堆積した砂利の除去や堤防強靭化
を遅らせたことにより推定耐久水量を下回る水量で決壊したことを
告発して警鐘を鳴らしている。
参照先の記事:2020年「堤防決壊ラッシュ」の危機! 全国で放置
される「ダム優先、堤防軽視」の利権構造が日本を沈没させる

当時は八ッ場ダムが豪雨で降り注ぐ大量の雨を受け止めたことで
利根川の氾濫を防ぎ首都圏を護ったという風説の流布も発生したが
事実は試験運転中でほぼ空だった水甕が偶然にも緊急放流が必要
となる水量に達する前に豪雨が止んだだけだったという結果を以下の
Yahoo!ニュース記事が伝えている。

参照先の記事:「八ッ場ダムが氾濫を防いだ」は本当?
次の台風に備える5つの課題

上記の記事では次のように戦国事態の名武将をはじめとした領主たち
がいかに治水に力をいれ、そのやり方が現代でも通用するかということ
を説明している。(以下は内容から一部抜粋したもの。)

――――――――――――――――――――――――――――

戦国時代、領主は治水に力を入れた。

[中略]

この時代の治水名人といえば、
武田信玄、加藤清正、成富兵庫茂安
があげられるが、
彼らの事業から現代に応用できることが3つある。
水を集めるのではなく分散させる
川は溢れることを前提にする
流域全体を使って対策を考える
近代の洪水対策は、降った雨をなるべく早く川に集め、
海まで流すことを目指した。
そのためダムを建設し、下水道を整備し、
長く高い堤防を築いた。

――――――――――――――――――――――――――――

ダム利権という言葉をご存じだろうか?
自民党の支持母体である建設業界が大規模なダム建設を族議員
から請け負い多額の費用が支払われる建設工事の発注と引き換え
に族議員へ見返り(パーティ券の購入や多額の政治献金)を支払う
関係全体を指して表現した言葉だ。ダムムラとも表現できるがこれ
には当然ながら国交省のエリートも含まれている。

昭和の香りがするこの言葉だが現代の令和に至るまで脈々と生き
永らえており、直近において長崎県佐世保市に建設を予定している
石木ダム建設が挙げられる。また熊本県の川辺ダムもある。
こうしてダムは水需要減少時代と呼ばれる現代でも着々と各地で
建設が予定されたり奨められたりしているがそうしたダムの所在地
である県の土木トップには国交省の役人が入り込んでおり行政の
治水事業をコントロールすることの弊害として堤防の整備や強靭化
が軽視され事業計画が疎かにされてしまうことで起きた人災だと断じ
て報じる記事も下記のように存在している。
参照先の記事:堤防を軽視することによる決壊リスクに警鐘
ダムは国交省にとって欠かせない利権か

私たちが住むこの日本という国は山河に恵まれた地形を有しており
そのような資源を活用することで世界中を見渡しても類を見ないほど
の豊富な”水”を圧倒的な低価格で利用することが出来ている。

しかしこれらは列島に降り注ぐ雨を水道という形で不自由なく利用で
きるのは治水あればこそ。つい最近ではPFI法による水道事業者の
選定にコンセッション方式を導入する法案が可決されたこともあって
一時的に注目されたこともあるが、根本的には水道事業とは自然と
いかに共生するかをしっかりと計画し維持も含めて地道に推進してい
くことなのだ。
SDGsといった環境保全目標を行政機関や企業に課す動きも活発だ。
しかしそんな建前よりもまず自分たちの命を育んでくれる水がどのよう
にして享受できているのかということに関心を向け行政を監視し時に
建設的な議論を周囲と交わしたりすることが大切なのではないか。

水道は私たちが生きていくうえで、なくてはならないものなのだから

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