高等学校 情報Iの要点 高等学校で情報Iを学ぶ意義 #1

リュディアです。今回は高等学校で情報 I を学ぶ意義について考えてみます。

情報は最も新しい教科です。名称が変更されて教科名が変わった、という例はあるのですが、内容、今で言うコンテンツ基準での教科の新しさは圧倒的です。ではなぜ学校教育で情報が追加されたのか考えてみたことはありますか?今回はそれを考えてみましょう。ただし私どもリュディアの視点での考えですのでご了承ください。

まず情報I を勉強したからといってプログラムを扱えるようになる = プログラミングをできるようにはなりません。これは保護者の方にも理解いただきたいのですが、そもそも学習Iがプログラミングを目指した学習内容になっておらず、また授業で少し習ったからといってプログラミングが身につくというものでもありません。ただし情報I をきっかっけにプログラミングに興味を持ち、独学で身につけていく生徒が生まれる可能性はあります。しかし正直なところ、そのような高校生は少ないのではと思っています。では何のために勉強するのでしょうか?

私どもリュディアでは以下の 2 つが情報 I を学ぶ上で重要だと考えています。

  1. 情報倫理

  2. 情報で使われる用語の理解

まずは最初の情報倫理についてです。倫理という言葉を聞きなれない方もいるかもしれませんが簡単に言うと行動の善悪を判断する普遍的な規準と考えてください。情報、特にネットワークの世界は人類にとって歴史が浅いため、意識して倫理を学ぶ時代に入ったと考えてください。情報倫理を考える際に以下の3つにわけて考えてみましょう。

1-A:基本的にネットワーク上での匿名性は無い

1-B:ネットワーク上に公開された情報は永久に消去できない

1-C:ネットワーク上で自分が被害を受けた場合の対処方法

明確な解を与えることはできない項目もあるのですが、私どもが高校生の皆さんに倫理的な観点から考えてほしいことを書いています。今回は 1-A 基本的にネットワーク上での匿名性は無い について考えてみたいと思います。

特殊な暗号化技術等を用い匿名性を確保した状態で犯罪をおかす例は映画やドラマでも見ますね。しかし、これらの例は高度な技術をもった特殊な人たちによるもの、あるいはフィクションだけの話であって現実的ではありません。

以前に日本での SNS の普及についてまとめたときに、日本では Twitter が圧倒的であり、その理由の1つとしてアカウント登録が本名であることを必須としないことをあげました。実際に匿名性が担保されるかどうかは別にして匿名であるかないかは人間の思考や行動にどのような影響を与えるのでしょうか?

人間の心には弱い部分があり、見つからなければ大丈夫という考えが頭をよぎることがあります。本質的には法令を遵守する、他人の嫌がることをしない、などが倫理の観点から重要です。しかし見つからなければ何をしても大丈夫、ばれなければ何をしても大丈夫、と考えてしまい、匿名であると信じて常軌を逸する行動をとってしまう場合があります。ネット上でのいじめや、有名人に対する罵詈雑言など、メディアでも報道されることがありますね。最近はあまりにひどい場合に訴訟や警察沙汰になることも多く、その結果として摘発されているので匿名性が無いことも徐々に理解されるようになっていると思いますが、まだまだ理解できていない人も多いと思います。結局、警察や他の機関から重要案件だと認識されていないだけで、重要案件と認識された瞬間に調査され、匿名性は無くなるということです。

再度書きますが、匿名性が保証されないから悪いことをしてはダメ、ということではありません倫理的に許されないことは現実世界と同様にネット上でもすべきではないということが本質的です。ただし人間はばれないと思うと悪い考えが頭に浮かんでしまうことも多いので、その抑止力として匿名性は担保されない、ということは知っておいてください。

高等学校で情報Iを学ぶ意義 に関するまとめの続きは以下からどうぞ。

では、ごきげんよう。

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