「色彩のブルース」とフェイクと本物の説得力について、雑談

EGO-WRAPPIN'は普通に好きです。
「Night Food」はCDを買っていて、今でも時々聴きます。

「私立探偵濱マイク」のテレビドラマ放送を
リアルタイムで最初から全回を夢中で見ていて、
なんてカッコイイ企画なんだ、とベタ惚れしてました。

出演俳優・脚本・監督から…
もともと映画が先にあったことは後で知ったけど、
テレビで体験する「濱マイクの世界」というものに、
凄い魅力を覚えたんですね。

それは「ああいう世界に行きたい」的な「憧れ」ではなく、
純粋に「ドラマ世界に没入して、主役に感情移入する」ことにより、
実生活の日常から離れた世界を味わう快楽、といったものでしょうか。

まあ、とにかく「自分は絶対にああはなれない」がゆえに、
「濱マイク」は凄く格好よかったし、
胸を熱くさせてくれました。

その主題歌がEGO-WRAPPIN'の「くちばしにチェリー」。
もう痺れるほど好きでしたね。
オープニングの濱マイクの映像とセットで。

「チェリー」ってのが劇中でマイクが愛飲する
タバコの銘柄(今はないけど)で、
それと掛けているらしい、なんて情報も、
ずっと後に知ったことでした。

それから長い時間が過ぎ、
偶然Youtubeで「色彩のブルース」を聴きました。

「あれ? 聴いたことあるぞ、この曲?」
まあ、有名な曲なので、どこかで耳にしても
おかしくはないんですが。

そうじゃなくって、もっと何か繰り返し掘り下げて
聴きこんだような感触がある。
あれあれ、なんでだろ?

ああ、思いだした。やったやった、ライブで。
ずいぶん昔、趣味でフルバンドのリズムセクションに
参加してた時期があったんですが。

いつだったか、ゲストの女性ボーカルさんが
「やりたい曲」を持ってきて。
その4曲を、レンタルで借りて1枚のCDにまとめて、
セクションのメンバーに配った覚えがある。

まあ、当時は私生活が一杯一杯で、
個人練習に割ける時間がなかった。
そんなもんだから、バンドはクビ寸前だったんですね。

で、まあ「音源を揃えて配る」という手間を進んでやることによって、
「やる気ありますよ」的なポイントを稼いでおきたかったんです。
そのバンドには10年くらいいて、とても愛着がありましたから。

当然、楽譜はないので音源から耳コピして、
自分のパートを書き起こします。
でも、個人練習時間がほんとに取れなかった。
ちょうど母がステージⅢのガンを患ってることが発覚した時で、
間がわるかったのもあります。

本番はまあ何とかやりましたが、
あとでバンマスに叱られました。
しかたありません。
自分のパートは間違いまくりだったし、
壊滅的なのはわかってましたから。

話がそれました。
そう、じゃあ「色彩のブルース」の音源がウチにあるはずなんですよ。
探したら、やっぱりバンド練習用の参考音源の中にありました。

それからまた、長い時間が過ぎて。
偶然、中森明菜がカバーした「色彩のブルース」が入ったアルバムを、
当時の職場にいた人から貰いました。
貰ったときは、そのCDに「色彩のブルース」が
入ってるとは知らなかったんですけど。

さあ、自宅で個人作業用の再生リストを作成します。
気分にあわせて、テーマを決めてリストを作る。
楽しい作業です。
ふと、ここで思いつきました。

ああ、オリジナルとカバーの「色彩のブルース」を
続けて聴いてみたら面白いんじゃない?

我ながらナイスなアイデアだと思います。
その結果ですが。

すごい面白い、変な感覚を味わうことができました。
いやあ、面白かった。
で、その体験について、いろいろと考えました。

まず、オリジナルの「色彩のブルース」は良かった。
続けて、カバー版「色彩のブルース」のイントロが流れはじめた時。

あれあれあれ、なんだこの「耳慣れた」感。
いや「安定感」というか、「こなれた感」。

おそらく、こちらは本職のジャズプレイヤーが
バックを演っているのでしょう。
だとしたら、この「耳慣れた感」「こなれた感」は当然です。
ジャズなら、けっこう雑食で
いろいろ聴き慣れているので、馴染みがあります。

でも、あれ?
なんか「普通」すぎて、面白くない。
まあ良い曲、いい演奏には違いないんだけど。

でまあ、自分としては。
オリジナルの「色彩のブルース」の方が、
「面白い」ことに気づきました。

じゃあ、自分はオリジナルを
どういう捉えかたで聴いていたのか。

うーん、まあ言ってみれば。
「ジャズ風のテイストを積極的に取り入れた、興味深い面白みを持った曲」
かな、うん。たぶんそうだ。

「ジャズ」とか「ジャズっぽいけどジャズではない」とか、
「本物」とか「イミテーション」だとか。
そんな風には、考えたこともなかった。
だって、事実「聴いてて面白い、いい曲」なんだもの。

心地よいか、心地よくないか。
感覚がすべてであり、自分にとって正義。
だって、他の誰でもない、自分自身が好んで聴く曲ですからね。


そうだ、他の事例に置きかえてみよう。
このたとえは、間違ってるかもしれませんが。

例)バラエティー番組か何かで「再現映像」として
「プロレスの試合」をシーンとして映す場合

・アクション俳優が、指示に従って「本物のプロレスっぽく」演じる
・本職のプロレスラーが、指示に従って演じる

これって、どっちが「見てて面白い」の?
っていうのに似ている気がします。

見ているのが、ガチのプロレスファンなら。
本職が演じるのを見てる方が、安心感があると思います。
でも、アクション俳優が「プロレスっぽく演じる」ことについては。
意見がわかれるでしょうね。

「やっぱりフェイクだ」「嘘くさい」と不快に思う人もいるだろうし。
「いや、たしかに本物ではないけど、面白いぞ」
「こういう捉えかたもあったのか」
というふうに、ある種の新鮮さ、面白みを感じる人もいるでしょう。

アクション俳優のファンなら
「○○さんは、プロレスラーを演じてもかっこいい!」
「さすが○○さん、本物っぽくて凄い!」
とか、思うでしょうし。

さらに、プロレスにあんまり詳しくない一般の人はどうかな?
とか、考えてみた結果。

自分としては「アクション俳優がプロレスっぽく演じる」方に、
より「興味と面白み」を感じるんじゃないかと思いました。

「本職がやる本物」は、当然いいものだけど。
「本職じゃないプロが、それっぽく真剣に演じたもの」の方に、
なんだか新鮮さと面白みを感じる。
まあ、ある程度のクオリティは当然必要ですが。

この感じかたは、自分が「ドラマ好き」なことにも
関係があるかもしれません。

ここから「色彩のブルース」とは何の関係もありませんが。

ドラマつながりで「時代劇の立ち回り」について。
藤岡弘、さんとか。
「必殺仕事人シリーズ」での滝田栄さんとか。

実際に「ふだん本物の真剣を扱っている」俳優さんが。

とうぜん模擬刀での擬斗なんですけれども、
「刀で斬る、斬るために構える」演技を見た時に、
ものすごい迫力を感じますね。

すぐれた俳優さんであるがゆえに、
持っている模擬刀を「本物」だと感じるように
「演じて」いらっしゃるんでしょう。

その演技力にも感服しますが、
「本物」の説得力、といいますか、
「確かな力」というものを、まざまざと感じたように思います。

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