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仮面を被った話の行方 #月刊撚り糸

「こないだね、知り合いの子が言ってたんだけど」 

 期間限定のフラペチーノを持って席に着き、彼が席に落ち着いたのを確認してからわたしは口火を切る。フラペチーノには専用の太いストローが付く。彼はそれを、今回初めて知ったようだ。

「ふうん。知り合いって?」

 無造作にぐいっとストローを生クリームの山に差し込み、一吸いしてから彼は問うた。わたしは眉間に皺が寄るのを感じ、いかんいかんと瞬きをしてから答える。

「こないだ飲み会あったでしょ。そこで久しぶりに会った大学の子」

 なんだか気持ちが萎えてしまって、話すつもりだった内容を続ける気にならなかった。折角きれいにホイップしてもらった形を崩さないよう、フラペチーノに慎重にストローを差し込んでそっと吸う。甘い。可愛くてやめられない、水分であるはずなのに口を乾かせる、暴力的な甘さ。じめりとした湿気と熱気から逃れられる涼しい店内で、砕かれた氷の冷たさが身に染みた。

「あー、そっか。で、どうしたの」

 彼は温度が低い。このフラペチーノや店内よりは高いだろうけれど、人肌よりはきっと低い。32度5分の温度。わたしとは5度も違って、明確に感じるその温度差でお互いに壁を作るわたしたち。疑問文のはずなのに語尾が上がらない彼をちらと見て、萎えた気持ちに添え木をする。

「前に言ってたテーマパーク、新しいエリアがオープンするらしいよ」

 本当はもっとわくわくした様子で伝えたかった言葉が宙に浮いて、空振りを確信した。

「へえ。そうなんだ」

 案の定返ってきた言葉に落胆はしない。

「あとね。これも知り合いが言ってたんだけど……」

 ふと彼の顔を見て、言葉が途絶えた。彼の眉間に微かだが皺が寄っていて、僅かだが目が細められている。彼の唇が開くことを予感した次の瞬間、その薄い唇が動いた。

「また『知り合い』、か」

 意味深にアクセントを付けられた『シリアイ』。自分の口から出た言葉とは別の響きを聞き取りながら、傘を畳みながら女性が店に入ってきたのを視界の端に捉える。外は雨が降っているのか、とぼんやり思考しながら、視点だけは彼の目に合わせた。

「知り合いばっかりだな」

 意図を捉えかねて、その眼を覗き込む。切れ長の目、色素の薄い眼が浮かべる感情は、蔑みか自嘲か。わたしへの無理解であることは確かだった。
 
「――どういう意味?」

 ややあって発したわたしの問いに、彼は肩を竦めて目を逸らした。

「や、べつに、他意はないんだけど。友達じゃないんだなーって思っただけ」

 ああ、とわたしは声を漏らした。友達と知り合い、その境界は難しい。小さな嘘をよくつくくせに嘘をつきたくないわたしは、綿密にそれらを言葉で区別しようとする。そしてそうやって示すくせに、干渉されるのは嫌いだ。いつも『知り合い』なわけじゃないし、というささやかな抵抗を込めて言葉を発する。

「ああ、うん、そうね。今回は知り合い」

 でろでろと溶けかけたフラペチーノをひとくち含む。溶けるのが早いように感じられるのは、人の多い店内で熱気が籠っているからか、はたまたわたしの温度が高いからか。

「――そういうの、つかれる」

 ぽつりと落とされた台詞に、店内の喧噪が遠くなった気がした。早くなる鼓動を内側に感じながら、ほんの僅かに首を傾げる。

「つかれる?」
 
 彼は依然目を逸らしたまま首肯して見せた。その斜め下を向いた視線の先で、彼の指先はレシートを弄んでいる。

「――知り合い、とか、友達、とか、わざわざ区別して話してさ。そういうところから聞いた話ばっかりして、っていう、そういうところ」

 温度のない声で、たどたどしく聞こえるほどに淡々と並べられる言葉たち。

「正直、いつも思ってた。しんどいって」

 温度差で分離する薬剤のように、わたしたちを構成する成分はもともと違っていて。

「だからちょっと、距離を置きたい」

 混ざりあうことのできないわたしたちは、足りない部分を補い合う存在ですらなくて。一瞬目を合わせた後、苦しげに逸らされたその視線を追って、わたしは流暢にリズミカルに言葉を並べた。

「だったらね」

 まっすぐぶつかることのない目線を、それでも彼の瞳に向けて。

「もうさよならしよう。そんなにしんどいなら、良くないってことなんだと思う」

 言葉は表現方法だ。それすらも温度が違うと言うのなら。知り合いからの話も友達からの話も、そうだと主張した上で共有できない関係であるというのなら。

「ごめんね、気付けなくて」

 彼の目が、ころりと丸くなってわたしを見た。

「え? そんな急に……」

 思えば彼は、知り合いから聞いた話など、わたしにはしなかった。友達から聞いたという話もまた。

「ずっと思ってたって言ってたじゃない。そんなに我慢させてごめんね。今までありがとう」

 わたしは空になったプラスチックカップを手に席を立つ。ちょっと、と呼び止めようとする彼を後目に、会計が先払いで良かったと思う。知り合いから聞いた話によると、こういう場合に会計が後払いだと気まずいらしい。さもありなんと心の中で頷く。

「ほんとに? ほんとに終わり? こんなところで?」

 彼の声がわたしを追いかける。こんなことで、ではなく、こんなところで。ようやく真っ直ぐにこちらを見た丸い眼に、少しばかり心が揺れる。けれどそこに、愛着だとか執着だとか、そういうものは読み取れなかったし、感じることもなかった。

「うん、――」

 ――知り合いが言ってたんだけどさ、片方が我慢する関係は結局長続きしないらしいよ。

 そんな言葉をつい口にしそうになったが胸に仕舞って、わたしは36度2分くらいの温度で告げる。

「お互いに時間もないでしょう。今までありがとう」

 さっと踵を返す。お気に入りの香水がふわりとわたしを包み、今日のために買ったイヤリングがしゃらりと耳元で揺れる。さようなら、わたしの4ヶ月。
 
 鞄に折り畳み傘を入れているから、外が雨でも問題ないだろう。知り合いが言っていた話によると、雨の日は珈琲の香りがよく立つらしい。喫茶店に寄ってみてもいいかもしれない。そこで婚活アプリに再登録して、その後でデート用の服を買いに行こう。髪型を変えたばかりだから、プロフィール用の写真も撮らないといけない。どんな服がよくてどんな写真がいいのか、喫茶店ではSNSの情報も確認しなければ。みんなが何を言っていたのか見てから動く、これは鉄則。


 わたしは明日も、次々に入る情報を武器に、婚活という名の荒波に立ち向かう。きっといつか、わたしも誰かに情報を提供できるようになるのだと信じて。


【完】
 




 



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