「聴く」におけるチューニングと演奏技術
今日は毎月開催している、【聴くプロのための公開カウンセリング】でした。実際に20分のセッションを行い、その後、話し手と聴き手(私)に、参加者から質問していただきながら学びを深めていく会です。
聴くことを探究する仲間が集って学んでいます。
毎回さまざまな発見や学びがあるのですが、この会は毎回録画などの記録を残していないため、話題に出たことの中で汎用性の高い部分を書き留めておきます。
私は話を聴くときに、何に集中しているかというと、
1,話し手さんがいま感じていること・内側で起きている現在のドラマ
2,話し手さんが語ろうとしていること・過去のドラマ
3,話し手さんがこれから生きる世界・未来のドラマ(予告編)
といえると思います。
(最終的には2,も3,も 1,に集約されます。過去も未来もみながら、そのうえでいま、が中心。この話はまた別で書くかも)
これが、聴くことを練習中の人だと、別のドラマが流入してくることがあります。TVのチャンネルをザッピングしたときみたいに、パっと画面が切り替わって、裏番組のドラマ「聴き手の物語」が流れてきちゃうことがあるんですね。
・これは私も経験があるぞ、あの時は…
・この話は先日、本で読んだあれかも!
・いまの要約は長すぎたな
・大丈夫かな、さっきの私の質問がまずかったかな
・そろそろ時間だからまとめなくちゃ。うまくできるかな
などなど裏ではいろんなドラマやバラエティやニュース速報などが流れています。それが画面に映ってしまったら。
そんな時は慌てずチャンネルを戻します。パッ。
集中の訓練を重ねると、だんだん別のドラマは映りにくくなります。裏番組は「あとからいつでも録画を見られる」こともわかってくるので、安心してください。
そんな例えで説明しようとしていたら、ふと、別の例えも浮かんできました。
リモコンでパッと切り替わるときもあるけど、ラジオのアナログなチューニングみたいに、すこしずれるだけで違う言語が聞こえてくるみたいな感じでもあるな。(近年そんなラジオも見かけなくなったけど)
続けてさらに別の例えも浮かんできました。チューニングといえば、ギターを演奏するときは、しっかりチューニングを合わせてから演奏しないと、気持ち悪いんだよな。そして、それは演奏技術とは関係なく毎回必要なんだよな。
TVドラマ→ラジオ→ギター と私の頭の中で比喩が変遷していき、ギターの「演奏技術と、チューニングの関係」が一番しっくりきました。聴く技術(まるごと聴く、コアをつかむ、応答や質問をする、など様々なワザ)だけでは演奏が成り立たない。チューニングを、聴くためのあり方(話し手の話に寄り添い、共感する。自分自身の物語を混ぜないのは大前提)に向かって集中し続けることが重要です。
毎回チューニングを合わせることと、技術練習とは両輪です。そのうえに、知識としてしくみがわかっていると、扱いやすい。
【知識】【技術】【あり方】。この3つの輪が重なる部分が、セッションがうまくいくし、再現性が高いのです。
知識はなくとも、セッションがうまくいくケースはあります。楽典の知識や譜面が読み書きできなくとも優れた演奏家がいるのと同じです。でも、優れた演奏家の中には経験から培った知識体系はあるはずです。だからこその再現性なのでしょう。
逆に、知識だけを本や独習教材で吸収しただけで、実際に技術を磨く実践や、その時のあり方のトレーニングが足りないと、セッションがうまくいきません。型にはまった、心が通わない感じになってしまうことがあります。
なので、ぜひ実践の場で技術とあり方を磨きながら、自分自身の知識体系を強化していってくださいね。
「あり方」の中には、チューニング以外にも、もっといろんな要素があることが書き切れてないので、それもまたいずれ別記事で。
(書き切れなさを認めつつ、少しづつ記事化をこころみています)
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