お汁粉の〇〇のように聴く
「聴く」の比喩シリーズです。
「聴き手が主役にならないように」と講座で話すことがあります。
主役は話し手さん。
話すのも、気づくのも、決めるのも、話し手さん。
話し手さんが執刀医なら、聴き手は手術助手。
汗を拭いたり、器具を渡したりします。(よく知らないけど、イメージ)
話し手さんがゴルフ・プレイヤーなら、聴き手はキャディーさん。
バッグを持ち、必要なクラブを渡します。
「ここは〇番のほうが」とアドバイスしたり
「ちょ、そこ私に打たせてください」と代打したりはしません。
あいづちやオウム返し、必要ならば要約や確認、さらに必要ならば活性化の質問、という風に、使える技術が増えてくると、
「もっと役に立ちたい」
と思うあまり、聴き手の介入度合いが強くなってしまうことがあります。
もちろん、話し手さんによっては会話形式で、聴き手の意見も参考にしながら考えたいタイプの方もいます。希望や目的や関係性に応じて、そのスタイルもできるようになるとよいでしょう。
そのスタイルが売りで、人気の聴き手さんもいるとは思います。(「ズバリあなたはこうです」と解析して、「こうしましょう」と言ってほしい人に)
私も個人セッションでは、グラデーションのどのあたりを取るか、人によって話題によって変えています。
ただ、聴き手に徹することもできていた方が、幅は広がります。私の講座では、なるべく話し手さん自身の力が引き出される方法を、お伝えしています。
先日、リスママの研修生のみなさんと実習トレーニングをやっていた時に
最小限の関わりで、最大限の効果を出す、を目指すことを伝えようとして出した比喩が
お汁粉の、塩のように関わる。
ということでした。
「すっごくいい質問をして、思い切り視野を広げてあげよう!」とか
「全部を網羅したまとめで、完璧にセッションを振り返ろう!」とか
気負ってしまうと、聴き手の存在感が目立ち、いただく時間も長くなり、
結果、話し手さんが「自分で気づいた」「自分で決めた」感が薄くなることを避けたいのです。
美味しい小豆も、適量のお砂糖も、こんがり焼けたお餅も、話し手さんの中にある。
そこに、ひとつまみの塩が入って「これだ!」と味が決まる。締まる。
この塩も、入れるのは話し手さん。味見するのも話し手さん。これでよし、と決めるのも話し手さん。
聴き手は、塩をほんの少しずつ手渡す役のイメージです。
ついついあれもこれもやらなくちゃと頑張り過ぎて、
自分はちゃんとできてるかなと不安になって、
やり過ぎちゃうことあるよね。
でも、お汁粉全体がしょっぱくなるほどの塩はいらないよね。
と、練習会でこの比喩を使って話しました。
すると、話し手役をやったAさんが、聴き手役のBさんに言いました。
「でも私、Bちゃんに聴いてもらえて、それがしょっぱいお汁粉だったとしても、それでもBちゃんに聴いてもらえて嬉しいよ」
それを聴いて、私は泣きそうになりました。
聴いてもらえる嬉しさってそういうことだよな。
不器用に、塩が入りすぎても、それが心に沁みることがあるよね。
その人が一生懸命そこに居て、自分のために役立とうとしてくれていたんだものね。
「たとえしょっぱくなっても、あったかい、が大事だね」
と、私は伝えました。
「相手のために一生懸命」と、「自分の不安を消すために」は違う。
相手のために、だったら、きっとそれはあったかいんだ。
学習者どうしで練習をするときに、「しまった」ということはたくさんおきます。それが学びの大事な体験となります。
何が起きていたのかを正直に伝え合わずにスルーしてしまうとせっかくの学びの機会を逃すことになってしまいます。
お互いの成長を願ったフィードバックを贈り合えるように、と伝え方に工夫をしたりもしています。
勇気をもって、こころのうちを話す。
勇気をもって、最善と思う関わりをする。
勇気をもって、何が起きていたのかを見つめ直す。
勇気をもって、次の実践をする。
この繰り返し。そのうちにだんだんと聴けるようになってくる。
できなくて凹んだり、気が重くて練習できなくなったりする時期があったりもします。
それでもやっぱり、聴けるようになりたい。
もう一度練習の場に出てみよう。
そう思ってもらえるような場を、用意していきたいと思っています。
高橋ライチの「聴き方」講座が受講できるのはこちら
NPO法人 リスニングママ・プロジェクト
ブライト・コミュニケーション研究会
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