日々のたわわごとと最適化
note始動します、って書いたらいきなり脳内に降りてきたメッセージがあるので書き留めておきます。
「これ以上ツールを増やして大丈夫か?」
これが、ノート登録後、1年以上ほったらかしてしまった私の脳内にあった心配でした。現在、アメブロ、ツイッター、facebook、instagram、メルマガ、を適宜というか適当に使っています。もっと発信数は増やしたいな、とか効果的なタイミングや内容で書きたいな、と思いつつそこまで活用しきれていない。
この上、まだ増やすの?お世話になったmixiに至ってはパスワードも登録アドレスも失くしてログインすらできなくなってるし…
この心配を解消する前に、1本目の記事をUPして、facebookにお知らせを載せてしまったぞ。
「これ以上ツールを増やして大丈夫か?」
の問いが、再び脳裏をよぎった時、メッセージがきた。
「大丈夫だよ」
これは、幻聴と似てるかもしれないけど、聞こえるというより、脳にどんと理解が入ってしまう、という感じで時々起こります。
けっこうな割合で、床やトイレを掃除してるときが多い。
今日もfacebookに「note始めました」投稿をした後、床を雑巾がけしてたらすとんと降りてきた。
「大丈夫だよ」
え~~~?大丈夫って、カンタンに。無責任だな。
「じゃあきくけど大丈夫じゃないとしたらどんな状況?」
続けられるか、とか?
「続ける必要があるの?」
まあ続かなければやめればいいか。あとね、他のものができなくなる、遅れるとかも心配。
「他のものは続けなくちゃいけないの?」
まあもっと大事なもの(この場合note)ががあるならやめてもいいのか。
「やめるなり、やめたくないものならば書く時間をもっと作るとか、書くスピードが上がるとか、最適化されてくから大丈夫だよ。」
最適化?最適化?
「いろんなものに手を出して、こなせない自分がいやなの?
やりこなせないってなんでわかるの?
できないくせにって耳元でずっと言ってたら誰でも続ける気力なくなるよね」
たたみかけてきたね。確かにそうだよね。自分が自分の足を引っ張ることは無駄すぎる。カウンセリングでクライアントさんにもお伝えしてることだ。でも、さすがに、下手な小説とかは、出すのやばくない?
「でも下手なブログずっと書いてきたから少しは思うことに沿った言葉が出てくるようになったよね。
こぶたラボの歴史も結局、発表前のものを書きためることができてないんだよね。
小説だって、出すあてがないときっと一生書けないよね。
これまでのパターンでいくと、出しながらだと、続けられる。
出しながら続けることで改善していってうまくなってきたんだよね。
いろいろ思い付きで衝動的にやってみて
続くものは続くし、終わるものは終わるよね。
増やしてみて、両方続くなら能力があがってるってことだし
そもそも新しいツールに手がのびるのは
今のツールでできないことができそうな可能性があるからでしょ。
大丈夫、最適化されるだけだよ。」
おおおおおおおお、最適化。
そうか、そうだよね。
ただ最適化される。
始めたら、最適化される波に揺られていればいいのか。
シーグラスみたいに磨かれたものが残る。
わかった。
腑に落ちるとメッセージは止まる。
今回は、少年のような対等なイメージのエネルギー。
もっと大きな、サムシング・グレートみたいなエネルギーの時もある。
言葉のときも、感覚のときも、行動指示(私は辞令と呼んでいる)、みたいなときもある。
啓示というほど大げさな感じじゃなくて、ふと、降りてくる。
今回は、言葉も、一個、落としていった。脈絡なく。
「たわわごと。」
たわごとじゃなくて、たわわごと。
日々刻々湧いてくる、私の脳内のおびただしい言葉や感覚は、ばかばかしいたわごとなんかじゃなくて、(いや誰かにとってばかばかしいとしても)それは私の生きている豊かな実りでありギフトなんだ。
祝福。
ちなみに、この言葉はすごい!と思って「たわわごと」で検索したら既に使ってらっしゃる方がたくさんいました。^0^
イラスト・NAKAO KUMIさん
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