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社会のしわとかほころびとか

社会課題について、関心のあるジャンルがあって、虐待とか暴力とか貧困とか依存症とか生きづらさとか犯罪とか社会的包摂とか、、、、
なぜか自分事として聞こえてくる。身近な人にとってもこれまでもこれからも他人事ではないと思う。なので他人事だと完全に思っている人の無理解やバッシングに傷つき腹を立てる。誰に頼まれたわけでもないのに、情報をチェックし、SNSでシェアしている私のこの行動はなんなのか考えてみた。

私は、社会にはあちこちにしわが寄っていたり裂け目があったりするととらえている。そのしわや裂け目に躓いたり落ちる人がいる。うっかりだったり、しわの間に縁あって生まれる場合もある。生きてるうちに徐々にしわに囲まれていくこともある。
そのしわや裂け目が生じるのは、一人ひとりの活動による。社会に敷いてあるシーツは、つながっているから。無自覚に、なんの悪意もないけれど、向こうにしわがよったりどこががほつれたりする。じわじわと、あるいは一気に。

無自覚に寄せてしまうしわを自覚できたらいいのだけど、せめて、目に入ったしわを伸ばしておくとか、ほころびを繕ったりとか、それもできなくても「ここしわがあるよ」「ここほつれてきてるよ」と誰かに伝えておくくらいのことはできたらいいなと思っている。

私が、そんな小さな声かけに助けられたことがあるように、誰かが少しだけ助かったりすると嬉しい。そして、何人かで集まって、手分けしてアイロンかけしたり、ほころびをちくちく縫う会なんかできたらそのこと自体でも楽しいのではないかと思っている。


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