悲しみを聴く
悲しい話を聴くのが苦手な人は多いように思う。
ついつい、大事な人が悲しんでいると、元気づけたくなる。
「聴くよ」と言っておきながら、自分の悲しかった体験を話したり、そこから立ち直ったアドバイスをしたり、気分を変える提案をしたり、しがちだ。
私も日常の人間関係の中で、無意識にそうしてしまってることもある。
では、聴き手として聴くときには、どのように聴いているか。
ある時、とても悲しんでいるクライアントさんのお話を聴く機会があった。
大きな喪失を経験したばかりの人だった。
喪失の悲しみをただただ語られるままに聴いた。
失ったものがいかに、その人にとってかけがえのない大切なものであったのか。
ほぼあいづちを打つのみで、その大切なものの大切さを一緒に感じていた。
大切なものを悼むその人を、感じていた。
時間がきて、100分のタイマーが鳴り、その人はひととおり話し終えた。
私の口から出た言葉は
「美しい話を、聴かせていただき、ありがとうございました」
そんな言い方でよかったのかどうかわからないけど、肚から出た正直な言葉だった。
誰かが何かを心から大切に思い、それが失われたことを悼んでいる。
その美しさに胸を打たれながら、私はともに居た。
ほとばしり落ちる滝のそばに佇んで、しぶきを浴びながら見届けていた。
以来、身近な人の悲しみを聴くときも、急いで元気づけずに、その話の奥にある美しさを感じながら、ともに居ることが、できるときもある。
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