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広州の入国隔離レポート_2022年2月版

日頃から、福岡広州ライチ倶楽部のブログ「ライチ局長の勝手にチャイナ」を楽しみにしてくださっている皆様、いつもありがとうございます。

昨年末から一時日本に帰国していた関係で、記事の更新をしばらくお休みさせていただいておりました。

この度、無事に広州に戻ってまいりましたので、改めてボチボチ記事の更新をしたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

というわけで、今回は、私が自身で体験したばかりの、中国入国時の隔離状況について、レポートさせてもらいたいと思います。

1.日本を出国、そして広州へ

 私は、今回、正月を日本で過ごし、1月に必要な手続きを行い、中国の旧正月(春節)が明けた2月9日に福岡から広州に戻りました。

2022年1月というと、中国で冬季オリンピックが開催される直前。感染を広げたくないという中国の緊張は、海を越えて日本まで伝わってきていました。

元々、中国に入国する際には、出発前48時間以内に指定の医療機関でPCR検査&抗体検査というダブル検査が必要だったのですが、1月7日からは、さらに出発7日前にも予備検査でPCR検査を受け、出発までの7日間は自分で健康観察を行わなければならなくなりました。
(2月18日からは、ダブル検査も廃止になり、出発前3日以内に2つの指定検査機関で24時間以上間隔を空けて別々にPCR検査(交差PCR検査)を受けることになっています)

ちなみに、この段階で万が一にでも陽性反応が出てしまうと、治療が終わった後に、胸部CTかX線検査を受けて完治した旨の証明を出してもらい、24時間を空けて2回PCR検査、その後更に14日間の自己健康観察を経て、ようやく振り出しに戻ってくることができます。ザクッと1ヶ月くらいは渡航延期にを覚悟しなければなりません。

日本で感染者が増えてくると、いくら注意していても、知らずに感染してしまうリスクが高くなってきます。不思議なもので、検査証明をもらうまでは、プレッシャーからか、喉が痛いような、身体が重いような、そんな気がしてくるものです。意味なく何度も体温測定してました…。

当時取得した陰性証明書

でも、この証明をもらえば、もう安心。次は入国者用の健康コードに必要情報を入力して、中国総領事館に申請をし、しばらく待ちます。その申請が通過すれば、グリーンの健康コードと共に、晴れて事前準備が完了ということになります。

健康コード

なお、福岡からはコロナ前は中国へ飛ぶ直行便があったのですが、今は運行停止になっています。私は、成田経由の南方航空(成田→広州)便で渡航することにしました。こちらの便は、日本を16時20分に出発するので、午前中に福岡→成田に移動することが可能なのです。

ただ、中国系の航空便というだけあって、乗客は中国人が多め。機内に入った途端、ほぼ日本語が消えます。更に、機内食が不思議なお菓子セットだけ…。これで、入国後の検査と移動や手続きの長い時間を耐えなければなりません。食べ物はしっかりと準備をしておくことが必要です。

飛行機搭乗へ向かう列
謎の機内食
朝早く福岡を出発し、成田経由で福岡上空を飛んで中国へ…(泣)

飛行機到着後、乗客は飛行機を降りたのち、1箇所に集められ、座席番号順に呼ばれます。早く進みたいなら、なるべく前の方の席に座っている方がいいと思います。

番号を呼ばれると、別の健康コードに個人情報を登録した後、PCR検査や入国審査を経て、手荷物受け取りへと進みます。ここまでは1時間程度で辿り着きましたが、預け入れ荷物はガンガン消毒作業が施されており、それに時間がかかったのか、荷物が出てくるのにかなり時間がかかりました。

荷物を受け取ると、順番にバスに乗せられ、それぞれ隔離ホテルへと向かうことになります。この作業は、広州市の区政府や周辺の市政府が担当しているのですが、当日の担当割り振りによって、どこのエリアのホテルになるのかが決定します。また、その割り振り自体は前日の夜に決まるそうなので、どこのエリアの隔離ホテルになるかは、まさに運試しのような感じです。私は、広州市の番禺区というエリアでの隔離でした。

バスで1時間ほどかけて隔離ホテルに着くと、フロントが既に戦時中のような様相に変わっています。順番に防護服を着たスタッフから、早口の中国語でベラベラと捲し立てられ、隔離中の生活についてアレコレ指示を受けます。…が、これ、中国語が分からないと、かなり不安だと思います。

宿泊費用については、全て自費です。ホテル代は、ホテルによって様々ですが、大体食事込みで400元〜550元/日といったところではないでしょうか。日本円だと7,000円〜10,000円/日。結構な負担になりますね。最初に一気に宿泊日数分の費用を支払う必要があります。

そこまで終わって、ようやく部屋で一息。飛行機は20時半頃に広州に到着したのですが、この時には、既に夜中1時半をまわっていました。

検査が終わるとバスに振り分けられる
隔離ホテルへ向かうバス
隔離ホテルのフロント

2.隔離ホテルでの21日間

私が宿泊したホテルは、幸運にも、比較的部屋が広いと評判の「祈福酒店(クリフォードホテル)」でした。確かにベッドはとても大きかったのですが、中国のホテルですから、バスタブなどなく、タオルは提供がなく別売り。ミネラルウォーターが24本置いています。ティッシュが3箱、トイレットペーパーが6個、シャンプーリンスが3セットずつ、歯ブラシも3セット、スリッパ4セット。これ以外は、ルームサービスで購入する必要があるようで、外卖(デリバリー)も快递(ネット配送)もダメということでした。ちなみに、お酒は販売されていませんでした。

隔離ホテルの部屋

なお、ホテルからは「お客さまへのプレゼントです」ということで、バケツと洗面器、洗剤とタオルのセットが置いてありました…。

バケツと洗面器と洗剤とタオル

さて、ここから隔離生活が始まるのですが、広州では「14+7+7政策」が採られています。これは、最初の14日間が指定の隔離施設で過ごし、次の7日間が自宅隔離、最後の7日間は自己健康観察期間になります。

私の場合、広州の自宅がなかったので、次の7日間も隔離ホテルで過ごすことになり、合計21日間をこの部屋の中で過ごしました。もちろん、ドアから一歩でも外に出てはならないし、窓を開けるのも1日に2回、1時間ずつなどという制限があります。ドアには「指示に従わなかった場合、その罰は自分が受けることになります」という言葉が、ドーンと貼ってあります。

また、ここでは、午前中と午後の2回、体温測定と体調チェックを受けなければなりません。更に、21日の滞在中、11回のPCR検査が待っています。2日に一度は、鼻に綿棒をグリグリ入れられることになります。

PCR検査の日程表

面白いのは、割に精神面に気を配ってくれることで、「眠れない日々が続いている」とかのストレスチェックがあります。ストレスを溜めないための小冊子みたいなものが形ばかり置いてあります。やはり密室に耐えられない人も多いのだと思います。

精神疾患のリスク診断表

とはいえ、部屋の中で21日間もの間自由を奪われていると、本当に留置所などに捕まっているような居心地の悪さを感じます。最初の数日は、それも非日常な体験と楽しむ余裕もありましたが、次第にそれも日常へと変化していき、淡々と流れていく時間にストレスを感じるようになります。それが完全に慣れきった後には、今度は外の世界に出るのが不安になるほどでした。こんな極端な隔離状態…、なかなかに貴重な体験だと思います。

また、ずっと部屋の中にいるので筋肉は確実に衰えていきます。部屋の中で筋トレしたり、ウロウロ歩いてみたりしています。頑張って部屋の中を歩きすぎて足が筋肉痛になった時には、さすがに絶句しました。

楽しみは、1日3回のお弁当の時間。弁当が配給される時間になるとソワソワして、置かれるとすぐに取りに行きます。そんな生活をしていると、自分の姿が、檻の中を動き回りながら飼育員が現れるのを心待ちにする動物園の動物に重なります。

下の画像は、お弁当の画像です。

朝食の弁当例①
朝食の弁当例②
昼食の弁当例①
昼食の弁当例②
夕食の弁当例①
夕食の弁当例②

このボリュームで、一日3回出てきますけど、ロクに運動もしていないと、お腹も空かないし食べきれませんね。ちなみに、このお弁当たち、自分では割と美味しくいただいていたような気がしていました。でも、今、この写真アップしながら、「ウッ」ときたので、実は心に結構ダメージを負っていたようです。

なお、この時には、日本から持っていった「ふりかけ」が獅子奮迅の活躍を見せてくれました。

それから、隔離中にバレンタインデーやら、中国の元宵节やらを迎えたのですが、その都度、ホテルからサービスが配られました。

バレンタインデーのクッキー
元宵节の汤圆

3.そして解放へ…

さて、そんな感じで21日間を過ごしたら、ようやく解放です。夜遅くにチェックインしたので、夜遅くにしか解放されません。

最後には、解除隔離証明と、この間に受けた11回のPCR検査の結果を一気に受け取ることになります。

隔離解除証明

こうして、21日間の隔離は終了しました。2月にマフラー巻いて成田空港に行ったのに、隔離が終わって出てくる頃には3月に入り、すっかり春本番。
いやー、ようやく解放!…というわけにもいきません。

最後の7日間が残っています。この期間は、自己健康観察期間で、3日目と7日目に自分でPCR検査を受けに行かなければなりません。最後の7日目の結果が出るまでは、できるだけ人の多いところに出かけたり、公共交通機関に乗ったりしないように…、と言われています。

中国の場合は、日本に比べて、市中での感染リスクはかなり低いのですが、万が一にでも感染してしまった場合のリスクが日本の比ではないほど高くなります。隠蔽しようとしたり逃げようとしたりすると、最悪、刑事罰が待っています。

周りに対しても、自分が訪れた場所、接触した場所、住んでいるところ、食事したところ、全てが封鎖され、立ち入り禁止の営業停止の上、全員検査と数日間の隔離という措置が待っています。その上、感染が拡散していたら、都市封鎖もあり得ます。当然、その都度、膨大な数の人々の生活に影響を与えることになります。

それが分かっていると、やはり万が一を考えて、この7日間も好き勝手に振る舞う勇気はありません。なるべく外出を控え、移動は地下鉄を避けて自転車…という生活をしていました。

それでも、好きなところに行ける喜び、好きに買い物できる喜び、食べたいものを食べれる喜びというのは味わうことができます。「普通に生きているだけで幸せ」という究極に幸福な状態に浸った7日間でした。

7日目にPCR検査を受けて、陰性の結果を持って完全解放!

最後のPCR検査へ
結果は陰性


ということで、28日間に及ぶ隔離生活をレポートさせていただきました。隔離中は淡々と時が流れていくので、山も谷もない内容ですが、もしかしたら誰かの参考になることがあるかもしれない…、と思って、拙文ながらまとめさせてもらいました。

ちなみに、隔離中の生活ですが、タイミング的には、前半は冬季北京オリンピック、後半はロシアのウクライナ侵攻と、大きな話題が続いたので、世界を揺るがすニュースに隔離時の興味も翻弄された感じでした。

また、最後にこんな隔離施策がいつまで続くのか…ということについて。

日本では身内や友人、職場などで感染歴を持つ人が増えてきました。重症化する人もいるものの、どちらかといえば軽症で済んだという体験談をよく耳にします。これにより、コロナウイルスへの感染そのものに対する恐怖感は、やや薄らいでいるような気がします。

その点、中国はゼロコロナの政策を続けているので、感染体験を持つ人に会う方がレアな状態のままです。従って、コロナウイルスに対する恐怖心も、まだ根強く残っています。この世論の差は、水際対策が緩和される世界各国との間において、感染リスクをどう捉えるかという考え方のズレを大きくしていきます。

そうなると、中国は更に水際対策を厳しくしてでも必死でウイルスの侵入を防ごうとすると思いますので、世界の潮流に反して、この厳しい隔離政策は、もう少し続きそうかな…という気がしています。

中国から出ていくなら、まだしばらくは「行きはよいよい、帰りはこわい」なんでしょうね…。


《 ライチ局長の勝手にチャイナ!vol.22 》

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