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#1 遠い星で、また会おう。

※この作品は、フィクションです。



プロローグ

 消えた蛍光灯が不自然に張り付いている壁。それが、天井だと気づくのに、10秒ほどかかった。自分が病室にいることを理解するまで、さらに30秒ほどかかった。身体に不備はなく、五体満足であることは確かだったが、体の末端に電気信号が届いていないような感覚だった。

 私は、フラッシュバックを起こした。それも、職場の書庫の中で。過呼吸というものは、こんなに苦しいものだったとは、知らなかった。自分が病人として救急車に乗るとは思いもしなかった。それほど、唐突な出来事だった。

 医師の診断は、PTSD(心的外傷ストレス障害)だった。私が職場でよく耳にした言葉だった。しばらく、仕事を休んで安静に、とのこと。

 職場の上司と同僚が駆けつけてくれた。私が倒れたことにびっくりしていた様子だった。無理もない。私もこんな経験は初めてだ。「無理せずに、しっかり休んで、回復してから戻ってきてね。」と優しい言葉をかけてもらった。病休の間は、ボーナスが出ないが、月給は満額出るらしい。公務員の福利厚生の素晴らしさよ。でも、申し訳ない。たぶん、あの職場には戻れない。あの現場を見てしまった同僚がいるのなら、私はどうしても戻ることは出来ない。脳内で、私はすでに路頭に迷っていた。これからどうしよう。私が抱えていた案件はどうなるのだろう。私が担当していた子どもたちの処遇はどうしよう。考えていた方針が頭からすっぽ抜けて、カラカラと音がしている、気がする。それほどショックな出来事だったのだろう。

 しばらくして、彼女がやって来た。倒れたと聞いて、飛んできてくれた。涙を流しながら、無事を喜んでくれた。そんな、大事故に巻き込まれたわけじゃあるまいし。しばらく、「家は、いつでも帰れるようにしておくからね。」と言い残して、病室を去った。結局、私は、倒れた理由を、彼女に伝えなかった。


 たった一つのファイルを開いただけだった。パンドラの箱を開けてしまったような気分。正直、この職場に来た時点で、その可能性は考えていた。しかし、自分にこんなダメージがあるとは思いもしなかった。もっと、あっさりイケると思っていた。


 暇な病室では、ネットなり何なり好きにしていいけど音は出してはいけない、と説明された。バッグからBluetoothイヤホンを取り出し、なんとなくYouTubeを開く。いつも見る漫才動画やら自己啓発系動画やらを眺めるが、全く面白くない。おすすめ動画の欄をひたすら下にスクロールする

 ふと、目に留まった動画があった。「ウルトラマンVSゼットン」。私は、その組み合わせを見た時に、思い出した。ウルトラマンも負けるのだ、と。動画の中のウルトラマンは、私の記憶の通り、あっさりと負けてしまった。何をやっても歯が立たない。抵抗空しく、あっけなく倒れるウルトラマン。どうした、立ち上がれよ!という気分にはならない。そもそも、歴代のウルトラマンたちは、必ずと言っていいほど敗北を経験している。そして、ゼットンをやっつける新たなウルトラマンがやってくることも、私は知っている。

 ウルトラマンなんて、所詮、人間が作り出した架空のヒーローに過ぎない。どんなに頑張っても、人間はウルトラマンにはなれないし、ウルトラマンの様な人間もいない。「こうありたい」という欲望が作り出した幻想だ。しかし、そのスーパーヒーローに敗北を与えた、円谷プロに畏敬の念を抱かずにはいられない。

 私は、子どもを守ることができたのだろうか。できたとしても、いつか敗北して、代わりの誰かがそれ以上の力を行使して、人々を助けるのだろう。いや、まず私自身に子どもを救う技量などなかったのだろう。子どもを「守る」など、正義のヒーローでもないのに、おこがましいったらありゃしない。はあ、これからどうしようか。

 私は、スケジュール帳から、一枚の写真を取り出した。小さな少年が、ウルトラマンの着ぐるみの様なパジャマを着て、手で十字を作ってポーズを決めている。その目は、希望と勇気に溢れ、キラキラ輝いていた。

 ごめんな、お前の目指しているヒーローには、やっぱりなれなさそうだ。

 私は、写真をスケジュール帳にしまった。裏返したときに、大学時代、自分で書いた雑な字が、目に留まる。

 「初心、忘れるべからず!」

 個室では、話し相手もいない。かといって、スマホを開いて誰かと連絡を取ろうという気にもならない。できれば、他人から積極的にいろいろしてほしい。大富豪になって美女を侍らして、あんなことやこんなことを…。なんだろう、この感じ。妄想している自分が単純にキモい。ああ、これからどうしよう。


 私はただ、過去のことを思い返すことだけに時間を費やしていた。


↓ 次話


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