「大人」とは一体誰を指すのだろう
こんにちは!LX DESIGNインターン生の大澤陽菜(おおさわさんな)です。
私は大学1年生の頃、小学生の自然教室の引率バイトに参加しました。今回はその経験を通して感じたこと・考えたことをお話します。
今から2年前の大学1年生の夏、私は知人から小学生の自然教室引率バイトの紹介を受けました。東京の小学校から、静岡県の下田市に1泊2日。小学生にとっては一大イベントです。
もともと教育業界に興味があった私は「教育現場を見られて、かつ小学生の素敵な思い出作りのお手伝いができるなら…!」と思い応募することに決定しました。
私は今まで年下の子とあまり触れ合ったことがなく若干の不安はありましたが、それもまた新たな経験になると考え、引率当日をとても楽しみに待っていました。
そして当日の朝、学校に到着し「出発の会」を開いた時。学校の先生から生徒たちへ向け、私の紹介がありました。
「本日引率をして下さる大澤先生です。皆さん挨拶をして下さい!」
と先生。
「大澤先生!よろしくお願いします!」
と子どもたち。
私はとても驚きました。なぜなら
先生と呼ばれることが初めてだったからです。
先生というものは、教員免許をとって普段生徒に授業をし、責任感のある大人。こう思い込んでいたため、まさかただの大学生の私が先生と呼ばれるとは思いもしませんでした。
しかしそれは当然のことで、私は名目上バイトという立場でしたが子ども達から見れば「大人」。そして自分に何かを教えてくれる大人は「先生」
なのです。
そして同時にショックを受けました。
子供たちより大きく歳が上だというだけで、「大人」になれるのか…と。
私が小学生の頃、先生とは、大人とは、思慮深く分別があり自分より遥かに優れている存在なのだと思っていました。
大人になればそんな人間になれるのだと思っていました。
しかし、小学生に「先生!」と呼ばれた今の私は子どもの頃から変わらず、早寝早起きは出来なかったり、小さなことで他人にイライラしたり、親からお小遣いをもらっていたり…そんな人間です。
小学生の自分から、歳を重ねただけ。
私は、ただ歳を重ねただけで大人になれるとは思いません。
今の私が思う大人とは、「認めることができる人間」です。他人の人権を認める、自分の過ちを認める、他人の実力を認める…などなど。認めるという行為ができる人は大人だと、私は思います。
実はこの「大人とは認めるという行為ができる人間だ」という考えに至った経緯は、LX DESIGN代表金谷さんとお話させて頂いた中で生まれました。
私はインターン生としてLX DESIGNに入り、まだ1ヶ月も経っていません。普通ならたかがインターン生、という扱いを受けてもおかしくありませんが、LX DESIGNの方々は私を私として認めて下さいます。
そして先日金谷さんとお話した際、「さんちゃんは我々を頼って欲しいし、我々もさんちゃんを頼りたい。お互いどうすれば頼りあっていけるかこれから探ろう!」
と声をかけて頂き、
(こうして人を人として認めて接することができるのが大人か…!!!)と感じました。
大澤先生と呼ばれたときに抱いた疑問に対して、LX DESIGNでひとつの答えを見つけることが出来ました。
先程も述べましたが、歳を重ねただけで大人になれるとは限りません。
大人になったら◯◯になれるのではなく、◯◯になったら大人になれる、のです。
この◯◯に入る部分は人それぞれ違うと思いますが、私は自分のことも他人のことも認められる人間になりたいと思います。
大澤陽菜
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?