見出し画像

2023年4月のふりかえり|一人では学びにくいので、いい仲間がいる

4月は5月の前の月、と書くとあたりまえだけど、GWにひらくワークショップの準備がいつも中心にあった。


4月◯日

2/23にあった、「どう?就活」を一緒につくっている生活工房/中村幸さん渾身のプログラム「対話の効能」における斎藤環さんの「オープンダイアローグ」レクは、自分にインパクトが大きかったようで、終了後に長いツイートを連投している。その最後の1本を書いた。

本を読んだり、ある人の話を聞いている最中に、自分の中の別々の場所にあった知識や経験が!!!!!!ッとつながって、陸地のように浮上することがたまにあるけど、そんな感じ。
「わかる」は「分けられるようになる」ことだが、経験としては統合が進んでいるわけで…いや矛盾はしていないか。

治療者になりたいわけではないので、「オープンダイアローグ」にその関心は寄せていない。でも裾野の広い山だなと思う。また登ってみたい。

(これを書いている7月下旬に「対話の効能」全体の記録動画が公開された)
https://www.setagaya-ldc.net/program/551/


4月◯日

真鶴半島にある写真家の友人のアトリエを訪ね、庭先で静かな時間をすごす。どの木もよく育っている。ユーカリの樹高がすごい。木は可視化された時間だ、と聞かせてくれたのは石川初だったな。

ここは20世紀中頃に活躍した、高良とみさんという婦人運動家に由来する場所だそう。高良さんは参議院議員も2期つとめた人物で、後日調べて「こんな女性がいたんだな」と息が深くなる。(https://kobecco.hpg.co.jp/35222/)

すこし前の社会にどんな人たちがいて、どんなことに心血を注いでいたのか知らない。だいたいのことについて文化的記憶喪失状態で、最近のこともすぐ忘れてしまう。政治を筆頭に不祥事や理不尽なことが多すぎて、墨を吐いて逃げてゆくタコのよう。この喩えはタコに悪いか。「せめて知っていよう」と心がけてニュースに目を通していると、気落ちしてしまって精神衛生に悪い。

高良さん。世界は、ここまで来たとも、こんなふうになってしまったとも言える状態です。


4月◯日

ある会社のオフィス移転プロジェクトのサポートで、3回の円卓レクチャーをコーディネイトする。勉強会のアレンジは得意。

その一つの事前打ち合わせで、前から親しみを感じていた大西正紀・田中元子さん(グランドレベル)と初めて会いに「喫茶ランドリー」へ。大西さんが聞かせてくれた、学生時代の田中さんとの出会いにいちばん感動した。出会いも仕事も、優しさが成り立たせている。


4月◯日

コリン・カリー・グループの「18人の音楽家のための音楽」を聴きに初台オペラシティへ。ライヒの楽曲のコンサートには何度か行ったことがあるが、「これまでのはなんだったの?」と思うほど輪郭・粒立ちのハッキリした演奏で、素晴らしかった。眠気が吹き飛んだ。


4月◯日

ARDAの三ツ木紀英さんを講師に招いて、非公開の「対話型鑑賞講座」を仲間うちで開催。

自家製の講座はいい。既にあるものから選ぶより、自分でつくる。講座でいえば、企画して、交渉して、事前のやり取りを交わして、実施するポジションがいちばん勉強になるし、そのうえタダなのに(誤解を招く表現。実現に要する作業量は多い)。

〝DIY〟は日曜大工に限った話じゃない。わたしたちは、定価で既製品を買うことに慣れすぎていると思う。

対話型鑑賞(VTS)については、ちゃんと体験していないのにわかったような気になっている自分をつまらないと思っていた。ちゃんと学びたい。ただ一人では学びにくいものなので、いい仲間がいたら最高。内々で声をかけて体温の高い10名少々が集まった。

私は美大の出身ということもあって、アートに親しんでいると思われがちだし、自分もそう錯覚しやすい。が、実際にはそれほど美術展に足を運ばないし、展覧会に行っても一枚の絵をそんなに長くは見ていない。点数が多いと、つい次へ向かってしまう。

対話型鑑賞では複数名の目と心と頭を使って、一枚の絵を一緒にじっくり見る。ピカソの「ゲルニカ」は知っているつもりだったが、20分以上みんなと見て「こういう絵だったんだ…」と驚いた。この日は私のゲルニカ記念日。


3〜4月は、5月上旬にひらく「書くワークショップ β」の準備に多くの時間を割いた。
いつの間にか10冊の本を書き、コラムのたぐいも多少書いてきたが、いまだに自分が「どう書いているのか」よくわからない。かといって、気がつくと原稿が出来ているわけでもない。一所懸命やっているのは確かだけど私はなにをしているんでしょう?という自問がある。翌月につづきます。